ライオン誌日本語版2024年秋号

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- 00坪余の自然豊かな敷地に美術
は﹁羽黒・芸術の森﹂という、80
もう一つ、私が取り組んでいるの
業を行うようになった。
の修繕や庭木剪定などさまざまな事
立ち上げ、庭掃除や生前整理、家屋
域の清掃活動、更には便利屋事業を
女が加わり、朝市での野菜販売や地
は中学生から 代まで幅広い層の男
くりとして立ち上げたのだが、今で
宅にこもりがちな男性の生き場所づ
この団体は2018年に、退職後自
の一員として野菜を販売している。
われる朝市で、私は﹁さかた男塾﹂
に満ちた﹁羽黒・芸術の森﹂には多
すエネルギー。人を引き付ける要素
力、そして作家同士の交流が生み出
祖父の作品の魅力、作り上げた場の
心強いサポーターが集まってくる。
ギャラリーの受付や庭の手入れには
したりと、活動の輪を広げている。
り、骨董市やアートイベントを開催
業した。さまざまな企画展を組んだ
アトリエを改修してレストランを開
京から移住してきたいとこが祖父の
がギャラリー館長となり、やがて東
際、地元に残っていた私が代表、妹
形で再出発することを決めた。その
ど前に孫たちが引き継いで、新たな
眼前の困難や危機に対して躊躇せず
ライオンズ﹂を会長テーマにした。
﹁
﹃そ の 誰 か﹄は 私
﹃あ の 誰 か﹄は
に就任するに当たり、試行錯誤の末
今年度私は酒田ライオンズ の会長
の目標だ。
する企業・経営者を目指すことは私
文化支援︶
。今も、地域社会に貢献
卒論のテーマはメセナ︵企業による
会的責任について興味を持ち、大学
あることに衝撃を受けた。企業の社
民からそれほどまで愛される企業が
の抗議活動を報じたもので、地域住
から地元の企業を守ろうとする市民
グリーンメーラー︵敵対的買収者︶
国のニュース映像だった。それは、
持ったのは、高校時代に偶然見た外
そ も そ も 私 が 企 業 経 営 に 興 味 を
活動にも精力的に取り組んでいる。
テリア施工・書道画材販売︶以外の
リー勉強会の企画など、本業︵イン
男性向け介護セミナーやバリアフ
﹁一般社団法人ナカマチラボ﹂では、
や医療介護連携のために立ち上げた
座を行ったり。高齢者の住環境整備
めたカルタを作ったり、方言出前講
の代表として酒田市に残る方言を集
後直面するさまざまな出来事におい
まだまだ続くライオンズ人生、今
すます楽しみである。
いく中で挑戦を続けていくことがま
えることをやめた。今は年を重ねて
れる﹂という言葉を聞き、限度を考
二度と作れないが、最年長記録は作
記録を樹立した際の﹁最年少記録は
ラリンピックで2冠を達成、最年長
選手が 年に 歳で出場した東京パ
転車競技のパラアスリート杉浦佳子
だろうかと思うこともあったが、自
自分でもいろいろと手を広げ過ぎ
ることを実感出来た。
に関係なく自分の可能性が広げられ
若者と関わりが持てたことで、年齢
じてはるかノルウェーから来日した
とは極めて難しい。
YCE事業を通
国際交流を個人の力で成し遂げるこ
し初めて青少年交換に関わったが、
私はYCE委員会実行委員長を兼務
借りて成し遂げる。ちなみに今年度、
ば、ライオンズの仲間や組織の力を
そして一人では難しいことがあれ
く、かつ地道に継続的に取り組む。
なこと・自分が出来ることにいち早
は一市民、一ライオンとして、小さ
しても手順を踏む必要がある。まず
﹁その誰か﹂は私
﹁あの誰か﹂はライオンズ
館、レストラン、散策路などが一体
くの可能性があり、ここで得た経験
に動ける自分・クラブでありたいと
ても、最初に手を差し伸べる﹁その
せんてい
齋藤健太郎︵山形県 酒・田︶
となった施設の運営である。私の祖
や人脈はかけがえのない財産になっ
いう気持ちを込めた。ライオンズク
誰か﹂は私でありたいと思っている。
こっとう
父亡き後は母が館長となり、 年ほ
父、故今井繁三郎は洋画家として庄
ている。
ラブはルールにのっとって活動する
︵クラブ会長/ 年入会/ 歳︶
ちゅうちょ
組織なので、行動を起こす前にどう
51
毎月第1日曜日、地元商店街で行
内地域の美術発展に尽力した人物
他にも、
﹁酒田方言あそび研究会﹂
クラ
ブ
で、自身の作品を収蔵展示するため
に自宅敷地内に美術館を建てた。祖
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