ライオン誌日本語版2024年夏号

- ページ: 39
- 配送した。特に極寒の体育館で過ご
伺い、緊急性の高いものからすぐに
イ
が集まると、必要な物資を オラ山
ン 本に
況を憂慮し﹁能登の支援になるなら﹂
遅々として復旧が進まない能登の状
お話を伺った。来場者200余人は、
け、大 へ。国道は寸断されていた
石のトラックセンターに物資を届
積雪があった。更に北を目指し、
社長ら一行で、 時間かけて来たの
坂出市にある日の出製麺所の三好修
帰りだ﹂とのこと。聞けば、香川県
ないと聞いた時は一晩でも早く届け
被災地支援を行っていく。たとえ一
当クラブでは引き続き募金活動と
と快く物品を購入してくれた。
を実感させた。
火災による異臭が一層被害の大きさ
に到着。そこは家も船も押し潰され、
ため、 回道路を通ってやっと大
た一杯のコーヒーを飲みながら、支
た。ねぎらいの気持ちを込めていれ
なさいよ﹂とレストランに招き入れ
労さまでしたね。まず休憩していき
だと言う。
﹁やあやあ、それはご苦
う かい
たいとの思いだった。そして後日、
クラブの力は小さくとも、全国のラ
北上に戻り、早速支援を呼びかけ
すための防寒具や、布団が 組足り
避難所へ物資を直接届けに行った際
イオンズクラブに支援の輪が広がる
分ほど
に、冒頭の言葉を述べた柴田さんに
米 袋が集まった。更に仲間がイン
周年記念式典では、新たな応援とし
オンズの絆をつないで、再び立ち上
ターネットで全国に発信すると、想
頂き、私は1袋の白米を差し上げた。
だったが、帰り際、余ったうどんを
言うと、
﹁これからが支援の本番に
像をはるかに超える量の支援物資が
で各地の避難所へ届け続けた。避難
な る と 思 う か ら、髙 橋 さ ん も が ん
帰っていった。
所では﹁今は何が必要?﹂と聞くと、
それと男女別々に干すから長いロー
そんなことも少し忘れかけていた
月下旬、突然、8000食分の讃
プを﹂などの返答をくれる。ある女
ば っ て く れ﹂と 言 い 残 し て 四 国 へ
がろうとする能登の方々を応援して
山本を招き被災地の現状について
ライ
オン
一杯のコーヒーと絆うどん
性は﹁花が欲しい﹂と言うので、早
速花苗とプランター、黒土を セッ
災が発生。三陸沿岸地域は津波によ
ずは陸前高田へ向かった。そこから
んで、ボランティア仲間と一緒にま
トーブなどを4㌧トラックに積み込
をしている7∼8人の屈強な男たち
車が止まった。車から出てきて伸び
の駐車場に2台のトラックとワゴン
経営する﹁農家レストランさん食亭﹂
震災翌月の4月半ばの早朝、私が
し、その姿を見て少しだけ安 した。
うれしそうに花を植えて水やりを
ト届けた。すると、多くの人たちが
答えたものの、賞味期限2カ月の生
﹁分かりました。何とかします﹂と
遠く四国からの支援に二つ返事で
てくれるだろうと思った﹂と言う。
お会いして、この人ならば何とかし
との電話があった。聞けば﹁4月に
災者の方々に届けてくれませんか﹂
三好です。突然ですみませんが、被
りしていると、
﹁髙橋さん、四国の
岐うどんが届いた。その数にびっく
り甚大な被害を受けた。テレビに映
北上する途上、高台から見た大船渡
に、
﹁まだ営業前ですが、どうかさ
麵をどうしようかという不安もあっ
あん ど
し出された光景に唖然とする中で、
は壊滅的な状態で、荒れすさんだ光
れましたか﹂と声をかけると、
﹁
あ ぜん
被災者のことを思うと居ても立って
景にただぼう然とし、悲しみに打ち
ち合わせの米やリンゴ、衣服、薪ス
まき
もいられず、5日後の3月 日、持
髙橋靜雄︵岩手県 北・上︶
10
た。
70
石で2日間うどんの炊き出しをした
2011年3月 日、東日本大震
12
ひしがれた。この日は寒く、峠には
11
﹁大 き な 洗 濯 用 の た ら い が 欲 し い。
て能登地方の8業者から500点以
合 っ た。そ の 時 間 わ ず か
援活動について互いの思いを語り
お会いしたのだった。
4月 日に開催した当クラブの
30
﹁遠い所から本当にありがとう﹂と
20
20
届くようになり、3日に1度の頻度
16
いきたい。
︵第1副会長/ 年入会︶
40
上の品物を仕入れて販売した。また
きな力になると考える。今後もライ
ると、4日間で 升︵ ㌔︶入り白
20
ことで、一日も早い復旧復興への大
20
16
2024 年夏号
39 LION
12
- ▲TOP