ライオン誌日本語版2024年夏号

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- 獅子吼
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*本欄は会員の随想や提言を掲載する投稿欄です。原稿の内容は必ずしも協会の立場を表す
ものではなく、またライオン誌日本語版委員会がその内容を支持するものでもありません。
していたが、下り線は完全に崩落し
ライ
山
向かった。事前に オ
ン 本から必要な
能登地方の被害が甚大であることを
ていた。道中に見る景色は、倒壊家
でもさまざまな被害があったが、特
知れば知るほど、深い悲しみを抱え
屋が点在し、海岸線はせり上がり、
物資を教えてもらい、車に入るだけ
ながら困難な生活を強いられている
かつての風光明媚でのどかな能登は
に能登に近い氷見市や高岡市伏木地
方々を思い胸が痛んだ。
一変していた。愕然とする気持ちに
積み込んだ。金沢と能登半島を結ぶ
﹁ テレビの前でもらい泣きをしてい
堪え、亀裂や陥没箇所がある道路に
区は大変なダメージを受けた。1月
ても誰のためにもならない﹂と悶々
注意しながら奥能登を目指した。
のと里山海道は上り線のみ一部開通
と過ごしていた時、当クラブが昨夏
到着した柳田体育館は支援物資の
自衛隊員がてきぱきと支援活動を
がく
3﹂の参加者名簿に、能登ライオン
行っていた。 山本はご自身も被災
避難所生活を送る柴田寿美香さんが
物資を運び終えた私たちに、ここで
吹雪に見舞われ、急いで公民館内に
る諸岡公民館へと向かった。突然の
本明人の道案内で輪島市門前町にあ
ラ
イ
メンバー、 ラオ山
能登ライオンズ ブクの
ン
み込んだ車3台に分乗し、石川県・
す﹂
。後日、集まった支援金で履き
安いものでも数があると助かりま
りがたいです。必要な方が多いので
になるので、長靴やスニーカーがあ
片付けていると履き物がすぐにダメ
要 で す か?﹂と 問 う と、
﹁が れ き を
うか。
﹁他に、今どのような物が必
たちのために出来ることはないだろ
の私たちが手をこまねいている場合
りを覚え、胸が熱くなった。
﹁隣県
とを知り、同じ組織の一員として誇
のクラブが能登に駆け付けているこ
ることが分かった。そして既に各地
オンズに向けて支援を訴えかけてい
ライ
山
ブックで オ
ン 本が連日、全国のライ
索すると、同クラブの公式フェイス
を思い出した。インターネットで検
早速、当クラブのアラート委員会
つもりだとお伝えした。
は、今後も出来る限りの支援を行う
時には、胸をなでおろした。私たち
のメンバーは全員ご無事だと聞いた
奔走されていた。ゾーン内7クラブ
クラ
︶と共に被災者のために
イオンズ ブ
ゾーン・チェアパーソン︵中能登ラ
ン・チェアパーソンとして、杉本茂
さ れ な が ら も、3
ゾー
ン
2024 年夏号 38
LION
末になっても余震が収まらない中、
に 開 催 し た﹁ラ イ オ ン ズ ク エ ス ト
受け入れ拠点になっていて、大勢の
能登へとつなげよう!
ライオンズの絆
大変な苦労の中にあっても前を向い
富山202
めい び
﹁ 私たちは︵公的な支援から︶取り
て力強く生きようとされる姿に頭が
フォーラム北陸大会
高尾ゆかり︵富山昭和︶
残されているんです。こうしてライ
下がり、またその温かい人柄に、
﹁能
登はやさしや土までも﹂という言葉
ズ の 山本のお名前があったこと
もん もん
オンズの皆さんに助けていただけ
て、本当に感謝しています﹂
が胸をよぎる。もっともっとこの方
目に涙を浮かべながらおっしゃった
物と一緒にヘルメットも用意して、
ではない!﹂
。すぐにクラブ内で話
を中心に支援金募集のチラシを作成
の副ゾー
言葉だ。思わず﹁困った時はお互い
諸岡公民館と能登町の在宅避難の
ライ
山
し合い、とにかくまず オ
ン 本を訪ね
し、被災地に必要な物を直接届ける
ライ
オン
さまですから。これからもお手伝い
方々へ届けた。
て能登へ行くことを決めた。
という趣旨で、メンバーや友人知人
ライ
オン
をさせてください﹂と言うと、
﹁あ
能登半島地震は、富山市でも震度
2月7日早朝、村本幸雄会長を始
を対象に募金活動を始めた。支援金
3
り が と う ご ざ い ま す。富 山 に 何 か
5強を記録。経験したことのない大
めとするメンバー3人が能登町へと
ヨン
あった時は、私たちが駆け付けます
きな揺れに恐怖を覚えた。富山県内
リジ
から!﹂とのお返事。自宅が全壊し、
クラ
ブ
3月3日、私たちは支援物資を積
in
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