ライオン誌日本語版2017年10月号

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- 設楽原古戦場に復元された馬防柵 あ り 、 市 街 地 ま で 約 5 ㌔ 結 ぶ 3 0 1 号 。 新 東 名 高 速 道 路 新 城 I C が 国 道 1 5 1 号 と 、 豊 田 市 と 静 岡 県 浜 松 市 を 方 面 は 浜 松 市 に 通 じ る り 、 新 城 市 内 か ら 上 り 方 面 は 豊 川 市 、 下 り 【 交 J通 Rア 飯ク 田セ 線ス の】 新 城 駅 を 中 心 に 15 も の 駅 が あ 2 人 ( 2 0 1 7 年 8 月 1 日 現 在 ) 面 積 / 4 9 9 ・ 23 平 方 ㌔ 人 口 / 4 万 7 5 5 が 広 が り 田 畑 が 開 か れ て い る 。 い る が 、 市 の 中 央 を 流 れ る 豊 川 に 沿 っ て 平 地
係 を 変 え て い た と い う 。 織 田 信 長 ・ 徳 川 家 康 る 。 標 高 7 0 0 〜 8 0 0 ㍍ の 山 々 に 囲 ま れ て
武 将 た ち は そ の 時 の 強 い 勢 力 に 従 い 、 従 属 関 で は 豊 田 市 に 次 い で 2 番 目 に 広 い 面 積 を 有 す
田 、 徳 川 な ど の 有 力 大 名 に 囲 ま れ 、 こ の 地 の 0 0 5 年 に 鳳 来 町 、 作 手 村 と 合 併 し 、 愛 知 県
に 接 し て い る 。 戦 国 時 代 に は 今 川 、 武 田 、 織 新 城 市 の ほ ぼ 中 央 に あ る 。 現 在 の 新 城 市 は 2
新 城 市 は 愛 知 県 東 部 、 市 域 東 は 静 岡 県 浜 松 市 及 ぼ し た と 言 わ れ る 長 篠 の 戦 い の 合 戦 場 は 、
新� � 城� � 市
主 要 道 は 、 豊 橋 市 と 長 野 県 飯 田 市 を 結 ぶ
破 り 、 そ れ 以 後 の 戦 術 ・ 戦 法 に 大 き な 影 響 を
連 合 軍 が 、 武 田 の 騎 馬 軍 団 を 鉄 砲 と 馬 防 柵 で
そ ん な 現 実 を 見 て 、 先 祖 が 残 し て 驚 く ほ ど 楽 に な っ た 。 更 に 都 市 と の
7 3 枚 ま で 減 少 し て し ま っ た 。
20 年 後 の 平 成 元 年 に は 3 割 以 下 の 3 ふ れ あ い 事 業 」 に 選 ば れ 、 軽 ト ラ ッ こ れ に よ っ て 「 ふ る さ と ・ 水 と 土 田 保 存 会 」 を 発 足 さ せ た 。 97 年 、 つ い に 念 願 の 「 鞍 掛 山 麓 千 枚 繰 り 返 し 粘 り 強 く 説 得 を 重 ね た 末 、 が 、 耕 作 者 の 関 心 は 薄 く 、 繰 り 返 し 備 す る た め 保 存 会 の 立 ち 上 げ を 企 画 。 次 に 作 業 性 、 生 産 性 の 悪 い 棚 田 を 整 風 景 で あ る 「 棚 田 」 を ア ピ ー ル し た 。 全 国 の 写 真 展 に 出 展 し て は 日 本 の 原 し た 。 手 始 め に 千 枚 田 の 写 真 を 撮 り 、 千 枚 田 の 保 存 活 動 を 仕 掛 け る こ と に 小 山 さ ん は 50 歳 の 誕 生 日 を 機 に 、 魚 の 技 師 を し て い た 小 山 舜 二 さ ん だ 。 た 。 当 時 、 愛 知 県 水 産 試 験 場 で 養 殖 げ た い 、 と 一 人 の 男 性 が 立 ち 上 が っ く れ た 遺 産 を 何 と か し て 次 代 に つ な
鞍掛山の中腹から湧き出す清冽な水が、四谷の千枚 田全体を潤している
ク が 通 れ る 作 業 道 が 完 成 。 農 作 業 が
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