ライオン誌日本語版2025年冬号

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- のだ。
りで一つずつ壁を乗り越えていった
とっても初めてのことばかり。手探
も、レ オ と し て 参 加 す る 青 少 年 に
各地のライオンズメンバーにとって
い。レオクラブを結成しようとする
順風満帆に進み続けたわけではな
れている。とはいえ、いずこもただ
クティビティの手伝いなどが紹介さ
シップ研修、ライオンズクラブのア
金、外国人留学生との交流、リーダー
人ホームの訪問、市内清掃、街頭募
年3月、日本にレオ
の目的にかなっていると言える。
ば問題の発生も含めて、青少年育成
ということではないだろうか。なら
着けるから、苦境を乗り越えられる
て成長し、問題を解決する力を身に
人が3年間でさまざまな経験を通し
ている。つまりそれは、
メンバー個々
乗り越えられれば大丈夫﹂とも言っ
3年目ぐらいに苦境があり、それを
に、あるレオは座談会の中で﹁結成
いった問題点も挙げられた。と同時
︵柳瀬祐子︶
なった。
りが交わされる熱気あふれるものに
れ、壇上と会場の間で活発なやりと
よりは体験と意見の発表に明け暮
調した。フォーラムは、祝典という
奉仕活動の中でも最高のものだと強
オクラブこそ、ライオンズクラブの
育成に直接的、継続的に関与するレ
あるライオンズメンバーは、青少年
て宙に浮いてしまうことを嘆いた。
度が異なるため、学校の課外活動と
かとか、学校とレオクラブの会計年
うベースギターのどちらを購入する
水質検査器具と老人ホーム訪問で使
どだ。そんな彼らの悩みといえば、
び、休んでいたのか、心配になるほ
難しさ﹂
﹁財源の不足﹂
﹁レオクラブ
難しさ﹂
﹁テストや受験との両立の
ンバーが一緒に活動していくことの
学生から大学生まで年齢差のあるメ
こなかったことに気付かされた﹂
﹁小
たが、これまで奉仕について考えて
挙げている。
﹁軽い気持ちで入会し
を振り返って、次のような反省点を
は、レオクラブ会長を務めた1年間
クラ
の三鬼治さん
静岡県・清水レオ ブ
た
た。北九州からやってき
ンバー500人が集っ
たっているライオンズメ
1 0 0 人 と、指 導 に 当
のレオクラブから代表1
開催された。全国180
フォーラムが、高知市で
周年を祝う全日本レオ・
クラブが誕生してから
歳 の レ オ は、
﹁今 の
その後、レオクラブは順調に増え
いかといったことだった。
程度共通することだろう。他にも5
れはどのクラブ及び会長にも、ある
同士の横のつながりの少なさ﹂
。こ
を取り戻そう﹂と訴えた。
い。レオ活動を通じて光
れているが、目に光がな
若者はエネルギーにあふ
士の交流と社会奉仕とのバランス、
催︶では、進学による離郷、仲間同
培われたレオ精神がクラ
だったOBは、せっかく
高知レオ
クラ
ブ
が誕生し、レオメンバーが1200
ライオンズの指導下にあることとレ
には、同年1月末で全国に クラブ
余人になったこと、
﹁各レオクラブ
の初代会員
人のレオたちによる座談会︵ 年開
とになった活動費をどう扱ったらい
10
ていく。
﹃ライオン誌﹄ 年4月号
17
ブを卒業することによっ
75
オクラブの自主性とのバランスと
1979 年 3 月、大分県別府市で開かれた第 2 回全日本レオ・フォーラム
で、発表に熱心に耳を傾けるレオたち
78
して承認され翌年度からもらえるこ
豊橋レオクブラは 1970 年 12 月 25 日から 3 日間、
豊橋駅付近の 3 カ所で街頭募金を実施した
の活動状況﹂として、高齢者宅や老
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