獅子吼 能登へとつなげよう!
ライオンズの絆

能登へとつなげよう! ライオンズの絆

「私たちは(公的な支援から)取り残されているんです。こうしてライオンズの皆さんに助けていただけて、本当に感謝しています」

3月3日、私たちは支援物資を積み込んだ車3台に分乗し、石川県・能登ライオンズクラブのメンバー、山本明人さんの道案内で輪島市門前町にある諸岡公民館へと向かった。突然の吹雪に見舞われ、急いで公民館内に物資を運び終えた私たちに、ここで避難所生活を送る柴田寿美香さんが目に涙を浮かべながらおっしゃった言葉だ。思わず「困った時はお互いさまですから。これからもお手伝いをさせてください」と言うと、「ありがとうございます。富山に何かあった時は、今度は私たちが駆け付けますから!」とのお返事。自宅が全壊し、大変な苦労の中にあっても前を向いて力強く生きようとされる姿に頭が下がり、またその温かい人柄に、「能登はやさしや土までも」という、能登を表現する際によく使われる言葉が胸をよぎる。もっともっとこの方たちのために出来ることはないだろうか。「他に、今どのような物が必要ですか?」と問うと、「がれきを片付けていると履き物がすぐにダメになるので、長靴やスニーカーがありがたいです。必要な方が多いので安いものでも数があると助かります」。後日、集まった支援金で履き物と一緒にヘルメットも用意して、諸岡公民館と能登町の在宅避難の方々へ届けた。

富山昭和ライオンズクラブへの感謝を記した色紙を山本さんに手渡す柴田さん(左)

今年1月1日に発生した能登半島地震は最大震度7、富山市でも震度5強を記録した。経験したことのない大きな揺れに恐怖を覚えた。富山県内でもさまざまな被害があったが、特に能登に近い氷見市や高岡市伏木地区は大変なダメージを受けた。1月末になっても余震が収まらない中、能登地方の被害が甚大であることを知れば知るほど、近くに暮らす方々が深い悲しみを抱えながら困難な生活を強いられていることに胸が痛んだ。

「テレビの前でもらい泣きをしていても誰のためにもならない」と悶々(もんもん)と過ごしていた時、当クラブが昨夏に開催した「ライオンズクエスト フォーラム北陸大会 in富山2023」の参加者名簿に、能登ライオンズクラブの山本明人さんのお名前があったことを思い出した。インターネットで検索すると、同クラブの公式フェイスブックにたどり着き、そこで山本さんが連日、全国のライオンズに向けて支援を訴えかけていることが分かった。そして既に全国各地のライオンズクラブが能登に駆け付けていることを知り、同じ組織の一員として誇りを覚え、胸が熱くなった。。「遠くの県からもライオンズの仲間がいち早く駆け付けているのに、隣県の私たちが手をこまねいている場合ではない!」。すぐにクラブ内で話し合い、とにかくまず山本さんを訪ねて能登へ行くことを決めた。

2月7日早朝、村本幸雄会長を始めとするメンバー3人が能登町へと向かった。事前に山本さんから必要な物資を教えてもらい、車に入るだけ積み込んだ。金沢と能登半島を結ぶのと里山海道は上り線のみ一部開通していたが、下り線は完全に崩落していた。道中に見る景色は、倒壊家屋が点在し、海岸線はせり上がっていて、かつての風光明媚(めいび)でのどかな能登は一変していた。愕(がく)然とする気持ちに堪え、亀裂や陥没箇所がある道路に注意しながら奥能登を目指した。

到着した柳田体育館は支援物資の受け入れ拠点になっていて、大勢の自衛隊員がてきぱきと支援活動を行っていた。山本さんはご自身も被災されながらも、能登ライオンズクラブが所属する3リジョン3ゾーンの副ゾーン・チェアパーソンとして、杉本茂ゾーン・チェアパーソン(中能登ライオンズクラブ)と共に被災者のために奔走されていた。3リジョン3ゾーンに七つあるライオンズクラブのメンバーは全員ご無事だと聞いた時には、胸をなでおろした。私たちは、今後も富山昭和ライオンズクラブとして出来る限りの支援を行うつもりであることをお伝えした。

早速、当クラブのアラート委員会を中心に支援金募集チラシを作成し、被災地に必要な物を直接届けるという趣旨で、メンバーや友人知人を対象に募金活動を始めた。支援金が集まると、必要な物資を山本さんに伺い、緊急性の高いものからすぐに配送した。特に極寒の体育館で過ごすための防寒具や、布団が20組足りないと聞いた時は一晩でも早く届けたいとの思いだった。そして後日、要望があった物資を避難所へ直接届けに行った際に、冒頭の言葉を述べた柴田さんにお会いしたのだった。

4月12日に開催した富山昭和ライオンズクラブの40周年記念式典では、新たな応援として能登地方の8業者から500点以上の品物を仕入れて物品販売を行った。また山本さんをお招きして被災地の現状についてお話を伺った。会場内の200人余りの人々は、遅々として復旧が進まない能登の状況を憂慮し「能登の支援になるなら」と快く物品を購入してくれて、その日のうちに完売した。

当クラブでは引き続き募金活動と被災地支援を行っていく。たとえ一つひとつのクラブの力は小さくとも、全国のライオンズクラブに支援の輪が広がり、これを続けていくことで、一日も早い復旧復興への大きな力になると考える。今後もライオンズの絆をつないで、再び立ち上がろうとする能登の方々を力強く応援していきたい。
 
(第2副会長/12年入会)

2024.05更新