獅子吼 町の文化を守り伝える
出田泰三(香川県・坂出シニアLC)
坂出市といえば、瀬戸大橋や番の州コンビナートに代表される「工業の街」として全国的に知られているが、実は古代・讃岐国の中心地だったことはあまり知られていない。またかつては日本一の製塩地として隆盛を誇っていたが、近年は中心市街地のにぎわいも消え失せ、人口は5万人を切っている。
私が定年前に会社を辞め、生まれ育った街の再生に向けて活動を始めたのは2011年、坂出市議選に当選したその年からだった。地元民放記者として培った経験や人的ネットワークは、その後の新たな街の魅力探しに役立っている。議会活動の傍ら最初に始めたのは、古地図や写真等を基にした「街歩き」だ。坂出にはかつて国鉄(現JR)と二つの私鉄があった。中でも琴平急行電鉄跡を訪ねるコースは特に面白い。軌道敷が斜めに走っていた部分がそのまま道や田んぼの形として残っている他、河川敷跡には約100年前の橋脚が今もそのままの姿で残っている。
また、昭和初期、坂出の資産家(以下A氏)がフランス製の9.5ミリフィルムで撮影した動画を発見し、貴重な品々を散逸してはならないとの思いで大切に所有していたT氏との出会いは衝撃的だった。私は、A氏がフィルム缶に書き記した撮影年時と表題を元に調べた後、原稿作りから朗読・編集に至るまで、他のボランティアの皆さんの手もお借りしながらデジタル映像にして、坂出市制70周年(2012年)に公開。また昨年8月には、大正から昭和初期にかけてA氏が撮影した貴重なガラス乾板と復元写真をT氏からお借りし、坂出市民美術館で展示した。
この他、市が創設した市民の手による「にぎわい創出事業」に毎年グループとして新たな企画を提案し続け、空き店舗や病院跡、信用金庫跡などを利用して、アート展や映画上映会等を行ってきた。一番の思い出は、坂出の文化・歴史をPRするイベント「古(いにしえ)に思いを馳(は)せて」だ。会場は「讃岐国府跡」、「沙弥島(しゃみじま)」、「神谷(かんだに)神社」で、テーマは百人一首。沙弥島では柿本人麻呂(662-710年)が歌を詠み、菅原道真(845-903年)は讃岐国府の国司として赴任、崇徳院(1119-1164年)は保元の乱で讃岐に配流され、崇徳院の没後、西行(1118-1190年)がその死を悼んで坂出を訪れている。百人一首に名を連ねる古代のスーパースター4人が、時空を超えて坂出の地に足跡を残していたとは驚きだ。
もう一人、忘れてはいけない人物がいる。「空海(774-835年)」だ。讃岐に生まれた空海は幼い頃、地方豪族の子弟を集めた国学(讃岐国府にもあった学問所)で漢学を学び、その後、叔父の阿刀大足の勧めで都の大学へ入学。その大足は、神谷神社を創建したと言われる人物で、その後、鎌倉前期に建てられた本殿は1955年に国宝に指定された(2年前に落雷で焼損し、現在修復中)。三つの会場では香川高松かるた会の協力を得て、百人一首や町歩き、茶会、それに坂出原産の石・サヌカイトを使った演奏会等を開催し、コロナ禍で人数制限はしたものの好評を博した。
議員活動を2期8年で終え、新たな活動として写真や映像等のデジタルアーカイブ化を考えている。坂出市も古文書などの歴史的文書を保護するための条例制定を目指しているが、その間に何も手を打たないと、未来の国宝になるかもしれない貴重な資料がどんどんなくなっていく。ライオンズクラブの会則・目的には「地域社会の文化の向上」に関する項目がある。民間ボランティアとして郷土の「文化・歴史」を次世代の子どもたちに伝えることも大切な役割だと信じ、今後も地道な活動を続けていきたい。
(5リジョン地区委員/13年入会/71歳)
2024.05更新