獅子吼 みなと祭はカミンバ!

みなと祭はカミンバ!

四国中央市(旧・伊予三島市)の三島地区には、三島港の開港を祝って1969年に始まった「みなと祭」があります。祭りでは「おどり大会」や「いよみしまナイトバザール」、花火大会などが開かれて、半世紀以上にわたり市民に親しまれてきました。当初、このおどり大会のメインは盆踊りでしたが、今では1997年に誕生した「カミンバ」も共に、三島地区の夏の夜に輝きを放っています。

そもそもの始まりは伊予三島商工会議所青年部(現・四国中央YEG)の会員有志が、おどり大会でコミカルな踊りを披露したことでした。これを見た当時の伊予三島市長が、「盆踊りと共にみなと祭を盛り上げる、にぎやかで若い人たちも楽しめる踊りを作ってくれないか」と商工会議所に依頼したのです。青年部はこれを受けて、頻繁に集まって新しい踊りのアイデアを出し合いました。そして、名称は「紙のまち」として知られる伊予三島だから「カミ」という言葉を入れ、「サンバ」のミュージックで踊りたいという希望と併せ、二つの言葉をもじって「カミンバ」という名称が採用に至りました。幸いなことに地元の音楽家・高橋信一郎さんの協力を得ることが出来、詞と曲が完成。それからは青年部会員たちが仕事を終えては高橋さんの音楽スタジオに集まって歌の録音を行い、踊りも早々に完成させました。

翌98年のみなと祭では、県立三島高校ダンス部、企業連、小学生連などによってカミンバの初お披露目が華々しく行われ、大成功を収めました。カミンバはNHKを始めメディアでも報道され、また地元サッカーチームの愛媛FCからニンジニアスタジアムでの試合に招待されて、三島高校ダンス部がハーフタイムのアトラクションとして披露しました。更に川之江地区の四国中央紙まつりへ参加したり、岡山県北房町(現・真庭市)でのイベントに参加したりと、カミンバの普及に努めてきました。

2004年には川之江市、伊予三島市、土居町、新宮村が合併されたのを機に、「伊予三島市のカミンバ」から「四国中央市のカミンバ」としてリニューアル。歌詞と共に曲調もラップ調に変え、踊りのステップも曲に合わせて作り変えました。コロナ禍中は3年間、みなと祭でのパフォーマンスを休止しましたが、2023年にようやく再開されたみなと祭には三島高校ダンス部や企業連など150人以上が参加して、にぎやかに街を練り歩きました。今ではカミンバは皆で祭りを盛り上げる必須アイテムとなり、次回以降への更なる飛躍が期待されています。
 
(カミンバ実行委員会会長/01年入会/68歳)

2024.01更新