獅子吼 いのちの電話を支える
ライオンズクラブ

いのちの電話を支えるライオンズクラブ

「いのちの電話」という言葉を聞いたことがありますか? 孤独や不安で悩んでいる人の支えになることを目的とした電話相談です。相談する人も相談員も匿名、相談は無料であることが、大きな特徴です。その始まりは1953年にイギリスで設立された「サマリタンズ」で、一人ひとりの命を大切にするこの活動は市民運動として全世界に広がっていきました。日本では71年に「東京いのちの電話」が発足。その後、各地で地元に根差したいのちの電話が誕生し、今では日本全国に50あります。

86年に誕生した「川崎いのちの電話」の生い立ちは、他とは大きく異なっています。第1の特徴は、当時の伊藤三郎川崎市長が市内にある近藤産婦人科の近藤俊朗院長に設立を要請したことです。この頃、川崎市では中高年の自殺が多く、伊藤市長は自殺者を減らそうと川崎いのちの電話の設立を考えたのです。近藤産婦人科では以前から、病院、教育、心理などに携わる人たちが集まって勉強会を開いていました。そうした基盤もあって、近藤俊朗院長は川崎いのちの電話の設立準備に入り、86年12月から電話相談を開始。初代理事長にも就任しました。

第2の特徴は、川崎いのちの電話とライオンズクラブとの関係がとても深いということです。初代近藤理事長は、ライオンズクラブ国際協会330-B地区(神奈川県・山梨県)の1984-85年度地区ガバナーでもありました。設立準備段階から参加していた一人であり、近藤理事長の後を引き継いだ金子圭賢現理事長は同地区の2010-11年度ガバナーで、両理事長とも当クラブメンバーです。市の支援で設立された川崎いのちの電話でしたが、運営に当たり活動資金及び寄付金を集めることは不可欠でした。また91年に社会福祉法人になったのですが、そのために基本財産1億円を達成する必要がありました。こうした歩みを強く後押ししたのは、川崎市内のライオンズクラブに所属する馬本克美、山下秀男、鈴木康王、宮田謙一、石田真一ら歴代地区ガバナーを始め多くのライオンズメンバーたちです。現在も金子理事長を筆頭に、理事2人(安達成功、井田光政/敬称略・以下同)、評議員3人(山本直正、松原成文、西村恭仁子)のライオンズメンバーが川崎いのちの電話の運営を支えています。

川崎いのちの電話は社会福祉法人ですが収益事業を行っていないので、活動に必要な資金は市の助成金や寄付などに頼っています。年間の活動には約1800万円かかり、自前で催すチャリティーコンサートや落語の収益金の他、寄付金は欠かすことが出来ません。寄付集めを担当する財務委員会では前記の安達理事が委員長を務め、委員には3人のライオンズメンバー(山本直正、金子顕、田中勇人)が名を連ねています。2023年度の寄付金目標は530万円でしたが、年度末より2カ月前の24年1月にこれを超えました。22年度は、全寄付額のうち33%をライオンズからの寄付が占めています。ライオンズ関係者の大きな支援に感謝しています。
 
2023年1~12月の1年間に受けた相談電話は1万2761件と、22年よりも624件増えました。このうち「死にたい」といった自殺傾向の割合は8.6%で、22年よりも下がっています。男女別ではわずかに男性が上回っており、年齢別で最も多いのが50代の23%、次いで40代20%、60代15%、30代14%で、30~60代で全体の4分の3を占めています。20代と10代は合計で10%です。相談の内容別では、13項目のうち「人生」が23%と最も多く4分の1近くに上ります。次いで「精神」「家族」「対人」の順で、上位4項目で63%を占めています。

川崎いのちの電話では、365日24時間休むことなく電話相談を受け付けています。相談員は困っている人に寄り添い、無償ボランティアとして活動しています。24時間、休日にも電話相談を行っている機関は少なく、いつでも相談出来る川崎いのちの電話へのアクセスは多くなっています。これからも、悩んでいるその時に「つながりやすい電話」を目指して活動していきます。
                                  
(幹事/23年入会/73歳)

2024.02更新