ライオン誌日本語版2017年11月号

- ページ: 52
- 天台寺の本堂は2019年完成を目指して保存修理の工事中。 瀬戸内寂聴師が使った書斎のある寂庵が仮本堂になっている
な い 状 態 だ 。 そ こ で 二 戸 市 は 、 昨 年 う と 、 二 戸 、 八 戸 、 七 戸 十 和 田 と 、 東 北 新 幹 線 の 盛 岡 駅 か ら 北 へ 向 か
の 木 も 不 足 し て 需 要 に 全 く 追 い つ か
の 方 針 が 出 て か ら は 、 職 人 も ウ ル シ
の 浄 法 寺 漆 が 使 わ れ て い る 。 文 化 庁
修 復 を 終 え た 国 宝 の 陽 明 門 に も 大 量 る 漆 の 伝 統 を 受 け 継 い で い く 。
文 化 財 修 復 に 使 用 さ れ て お り 、 今 年 と 木 を 育 む こ と で 、 日 本 が 世 界 に 誇
は 以 前 か ら 日 光 東 照 宮 を 始 め と す る 市 民 に 呼 び 掛 け て い る と こ ろ だ 。 人
っ て 需 要 が 急 増 し た の だ 。 浄 法 寺 漆 と か ら 、 農 地 な ど を 利 用 し た 植 栽 を
漆 を 使 用 す る 方 針 を 決 め 、 そ れ に よ ル シ の 生 育 に は 里 山 の 環 境 が 向 く こ
財 に 指 定 さ れ た 建 造 物 の 修 理 に 国 産 の 植 林 を 推 進 。 肥 沃 な 土 壌 を 好 む ウ
激 変 し た 。 文 化 庁 は 国 宝 や 重 要 文 化 市 は 肝 心 の 木 を 増 や す た め に ウ ル シ
国 産 漆 を 巡 る 状 況 は 、 2 年 前 か ら 職 人 が 技 術 指 導 に 当 た る 。 更 に 二 戸
当 た っ て い る 。
に つ な ご う と 若 い 弟 子 た ち の 指 導 に 保 存 会 も 若 い 世 代 の 伝 承 者 養 成 の 取
す ヘ 工 」 ラ が 藤 合 さ わ ん ず は に 今 漆 、 が そ 逃 の げ 技 て を し 次 ま の い 世 ま 代 化 庁 が 支 援 す る 日 本 う る し 搔 き 技 術 ず つ 地 域 お こ し 協 力 隊 員 を 任 命 。 文 か ら 漆 搔 き の 担 い 手 と し て 年 に 2 人
っ 部 奥 る た 一 州 。 。 族 南 こ の 部 の 九 氏 一 戸 の 帯 氏 領 は が 地 鎌 築 で 倉 い 、 時 た 二 代 九 戸 に 戸 市 発 城 に 祥 が は し あ 南 た
し ろ 行 政 上 の 区 画 を 表 す と 考 え ら れ
ど い く つ か の 説 が あ る が 、 い ず れ に
に は 、 鎌 倉 時 代 の 牧 場 制 度 の 名 残 な
名 が 点 在 し て い る 。 こ の 地 名 の 由 来
町 、 七 戸 町 、 八 戸 市 と 、 戸 の つ く 地
青 森 県 側 に は 三 戸 町 、 五 戸 町 、 六 戸
手 県 側 に 一 戸 町 、 二 戸 市 、 九 戸 村 、
く 。 岩 手 と 青 森 の 県 境 を 挟 ん で 、 岩
数 字 に 「 戸 」 の 付 い た 地 名 の 駅 が 続
滅秀 び吉 たの 九奥 戸州 城再 仕 置 で
り 組 み を 強 化 し 、 工 藤 さ ん ら 熟 練 の
馬淵川に面して男神岩と女神岩がそびえ る馬仙渓。男神岩を間近に望む場所に展 望台があり、二戸市内が一望出来る
- ▲TOP