トピックス 国際理事の2年間
感謝と奉仕の道のり

国際理事の2年間 感謝と奉仕の道のり

このたび、アメリカ・フロリダ州オーランドで開催された国際大会をもって2年間にわたる国際理事としての旅路を終え、退任いたしました。この2年間、国際理事という身に余る大役を務めさせていただいたことは、ひとえに皆様からの温かいご指導とご支援のおかげであり、心の底から感謝の念に堪えません。

2年前のボストン国際大会で国際理事に就任するまで、そして就任後も、本当に多くの方々にご指導、ご鞭撻(べんたつ)をいただきました。皆様の多大なるお力添えにお応えすべく、微力ながらもライオンズのため、精いっぱい尽力してまいりました。言葉の壁や文化の壁を越え、世界中のライオンの皆様と共に歩んだこの道は、私にとって人生のかけがえのない宝物となりました。

理事会と奉仕活動の軌跡

国際理事会は年4回、国際大会の直後、秋、春、そして翌年の国際大会の直前に開催されます。秋の理事会直後には、場所を移して奉仕活動を行うのが通例です。

○1年目(ボストン→カイロ→バンクーバー→メルボルン)
ボストン国際大会後、シカゴでの研修を経て、最初の秋の理事会は古代文明の地、エジプトのカイロで行われました。続く理事会後の奉仕活動では、雄大なアフリカのケニアの地へ移動し、野生動物に囲まれたサファリに滞在しながら、村や学校に食料や物資を届け、植樹も行いました。汗を流す中で、ライオンズの奉仕がもたらす希望の光を肌で感じることが出来ました。

その年の春の理事会の開催地は、当時のパティ国際会長の故郷であるカナダのバンクーバー。都会と自然が融合した街です。そして、夏の国際大会が開かれたのは、ヨーロッパの面影が漂う洗練された国際都市、オーストラリアのメルボルンで、この大会の前後に理事会が開かれました。この時に2年目理事の18人がその責任を終え、新たなステージへと向かう姿を見送ったことは、忘れられない一場面です。そして、新たな1年目理事が就任しました。

オーランド国際理事会の開会式

○2年目(メルボルン→ナタール→シカゴ→オーランド)
新国際会長ファブリシオ氏の下、秋の理事会は「太陽の町」と言われるブラジルのリゾート地ナタールへ。美しいビーチが目の前に広がる会議室で、私たちはライオンズの未来を真剣に議論しました。その理事会後の奉仕活動では、南アメリカ大陸最東端の「日の出の都市」ジョアンペソアへ移動し、美しいビーチの清掃活動や子ども病院への支援物資の配布を行いました。日本から地球の真裏という遠い道のりでしたが、そこで出会った子どもたちの笑顔が、旅の苦労を全て吹き飛ばしてくれました。

春の理事会はこの年から毎年、国際本部のあるオークブルックで開催されることになりました。理事会後はニューヨークに移動し、国連ライオンズデーに参加。1945年にライオンズが国連憲章草案作成に関わった時から続く、ライオンズと国連との豊かな関係と歴史の重みを改めて胸に刻みました。

そして、最後の理事会の舞台は、オーランド。国際大会直前の理事会で、私の2年間の国際理事としての活動の全てを終え、大会直後の理事会で感謝と共に退任の時を迎えました。

奉仕事業委員会での学び

国際理事会には12の委員会があり、理事はそれぞれ委員会に所属し各種案件を協議します。理事会は初日の開会式と最終日の決議のための閉会式に全員が集まり、その間は委員会に分かれて毎日協議いたします。私は2年間、奉仕事業委員会に所属し、2年目には副委員長を務めさせていただきました。これまで私は指導力育成に関わることが多かったため、奉仕事業という分野に最初は不安と緊張で胸がいっぱいでした。しかし、それがライオンズの奉仕を詳しく学ぶ機会となります。

奉仕事業委員会での協議

奉仕事業委員会での活動を通じて、私は「We Serve」というライオンズのモットーが、どれほど深く、そして広い意味を持つかを知りました。奉仕活動のグローバルな広がりと多様な活動内容に驚き、知らないこと、未体験のこと、多くの新鮮な刺激が私を成長させてくれました。世界中の仲間の知恵と情熱に触れ、この委員会で、ライオンズの奉仕の方向性を決めていく議論の重要性を実感し、身が引き締まる思いと同時に、ライオンズが世界を変える力を信じられるようになりました。

奉仕事業委員会では、今期から始まる新しい奉仕のイニシアチブ「心の健康とケア」、3回の「奉仕週間」、新たな奉仕活動の方法「奉仕トラベル」などを決定し、また、「思いやりは大切なこと」奉仕アワードやYCE委員長賞を選定したことは、非常に実り多い経験です。更に、ライオンポータル(Lion Portal)による奉仕報告の改善や、国連への協力を始めとするアドボカシー活動、八つの奉仕のグローバル重点分野の現状と検討、ライオンズ・キッズサイト、ライオンズ・アイバンク、YCEなど、多岐にわたる案件も話し合いました。もちろん、理事会時だけでは協議が足りないので、年間5、6回のウェブによる委員会もあります。委員長のリーダーシップ、国際協会スタッフの周到な準備と円滑な進行というプロフェッショナルな仕事ぶりにも感銘を受け、ただただ驚かされるばかりでした。日本の現状も踏まえた上で意見を述べると同時に、日本のライオンズに伝えなければならない多くの学びを得ることが出来ました。

言葉の壁と心の交流

国際理事にとっての最初のハードルは、やはり言葉の壁でした。世界で日本語を話す人口は、約1億5000万人で、フランス語やドイツ語よりも多いと言われています。しかし、日本語を話す地域は、ほとんどが日本国内です。ライオンズクラブの公式言語は、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、スウェーデン語、ポルトガル語、フィンランド語、日本語、韓国語、中国語ですが、理事会メンバーで日本語を話すのは日本人のみ。会議には通訳が付きますが、一歩会議室を出れば、自分の言葉で心を通わせるしかありません。自力でのコミュニケーションが求められます。英語が決して得意ではない私にとって、これは大きな挑戦でした。

しかし、わずかな英単語とスマホのテクノロジー、伝えたいという強い気持ち、そして何よりも「笑顔」や「身ぶり手ぶり」で、心と心は通じ合うのだということを学びました。そのおかげで、多くの国の理事と時間を共有し、国境を越えた深い友情を育めたことは大きな喜びです。

理事会や晩餐(さん)会、夕食会には、開会時にお祈り(インボケーション)の習慣があり、私は2年間で2度指名されました。会合前に中央に出て全員の前で英語でお祈りをします。自分で考えた原稿を、緊張で震える声で英語で祈りをささげた経験は、私にとって大きな自信となりました。実は、一度目は、次第にあったその予定が飛ばされてしまうというハプニングがありましたが、その後に改めて機会をいただいたことは、当時の会長の温かい心遣いであり、今でも感謝しています。その他には、理事会の閉会式の後に皆でアイスクリームを食べるという、心温まる趣向も良い思い出です。

深い感謝とこれからの決意

国際理事としての2年間は、苦労や困難も多々ありましたが、それ以上に喜びと学び、刺激、そして何物にも代えがたい世界中の奉仕の精神を分かち合える仲間との出会いに満ちた奇跡のような時間でした。ライオンとしてだけでなく、一人の人間としても大きく成長させてくれたこの機会を、心から誇りに思います。

この機会を与えてくださったライオンズリーダーの皆様、複合地区、地区、クラブのメンバーの皆様、そして親愛なる友人や仲間の皆様、皆様の温かいご支援とご協力に、改めて深く、深く感謝申し上げます。そして何より、どのような時でも私を支え、ライオンズの活動に集中出来る環境を整えてくれた家族には、心からの感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。

この2年間の経験で得た新たな知識とグローバルな視点は、ライオンズのすばらしさ、無限の可能性を再認識させてくれました。私は、ますますライオンズが好きになりました。これからも私は「We Serve」の精神を胸に、この貴重な学びをメンバーの皆さんと分かち合い、共に地域社会のニーズに応え、より良い世界を築くために尽力してまいりたいと思います。

心より、ありがとうございました。

2025.07更新(元国際理事、日本GATアドバイザー/濱野雅司)