取材リポート クラブ同士が助け合い
在宅避難者へ物資を

クラブ同士が助け合い在宅避難者へ物資を
金沢ライオンズクラブが物資支援配布の拠点とした輪島市のシルバー人材センター

3年前に災害アラート協定を締結した金沢ライオンズクラブ(新井秀明会長/86人)と佐倉ライオンズクラブ(秋葉真吾会長/44人)は、元日に発生した能登半島地震発生以降、連携して被災地支援に取り組んできた。金沢ライオンズクラブは地震発生直後から支援物資を集めて行政の支援が届きにくい在宅避難者に配布し、佐倉ライオンズクラブはその後方支援に尽力した。金沢ライオンズクラブの元に寄せられた支援物資は累計で150トン。地震発生から52日目の2月23日に最後の荷物を搬入し、物資支援には一つの区切りを付けた。

両クラブのつながりとそれぞれの活動について、災害アラート協定締結時のクラブ会長で、今回の支援活動で中心的な役割を果たす金沢ライオンズクラブの長谷吉憲さんと、佐倉ライオンズクラブの夏海優さんに聞いた。

2024年元日、金沢市の中心部、兼六園と金沢21世紀美術館の間に位置する石浦神社には、多くの参拝者が初詣に訪れていた。金沢ライオンズクラブ・アラート委員会の担当理事である長谷さんは、金沢最古とされる石浦神社の第24代宮司。午後4時10分に金沢市を襲った震度5強の揺れが収まると、境内にいた参拝者の避難誘導を行って安全を確認。その後、境内に居合わせたクラブメンバーと災害対応について相談し、翌2日には災害アラート委員会が始動した。この日、長谷さんは縁故のある輪島市の重蔵神社を訪れて現地の状況を調査。大規模火災が起きた河井町にある重蔵神社は、社務所が全壊して拝殿や本殿も大きな被害を受けていたため、その向かいにあるシルバー人材センターを輪島での支援のサテライトにすることになった。

アラート委員会がフェイスブックに支援物資のリストを投稿して協力を呼びかけたのは3日のこと。それを見て多くの金沢市民が受付場所の石浦神社境内に物資を持ち込んだ。募集したのは、ヘルメット、カセットコンロとガス、ガソリン(携帯缶)、ポリタンク、米、みそなど11品目。過去の災害支援の経験を基にリストアップしたものだ。5日、アラート委員会は集まった物資や食料を輪島サテライトに運んだ。震災当初、石川県は能登地方への一般車両の移動を控えるよう呼びかけたが、被災地では多くの人が空腹を抱え、事態は切迫していた。
「5日に物資と食料を運んだ時、集まった人たちから『食料が来た!』と歓声が上がりました。能登方面の道路は損傷が激しく、土地勘のない人が被災地へ入るのは難しい状況だったのは確かだと思います。我々は現地をよく知っていたので裏道も使って入ることが出来たし、物資搬送時は2人1組でスペアタイヤを用意するなどの備えをしました」(長谷さん)

金沢ライオンズクラブはその後も、メンバーの車両やバン、必要に応じて大型トラックを使い、輪島市の他、珠洲市や志賀町、能登町の寺社や集会所に物資を届けた。地震発生から3週間余りが経っても被災地の物資不足は解消されず、輪島サテライトでは500人以上が列を作ることもあった。そして物資を届けた際には、その地区のリーダーから支援のニーズを聞き取った。
「指定避難所では登録した人以外には支援物資が配布されないということがあったようです。必要とされる物資は時間の経過と共に変わり、また必要な物は場所によっても違っていました。必要な人に、必要な物を届けられるよう努力しました」(長谷さん)

そうして被災地で直接聞き取った情報に基づき、フェイスブックを通じて第2次、第3次と支援物資の募集を呼びかけると、全国各地のライオンズクラブから物資が集まった。物資の量が増えると神社での対応は困難になり、受付場所はクラブメンバーの今井裕二さんが経営する株式会社ナニワ急便に変更した。

金沢ライオンズクラブからの要請を受けて、物資調達の後方支援を行ったのが佐倉ライオンズクラブ。地震の翌日から動き出した金沢のアラート委員会が初動の参考にしたのは、佐倉ライオンズクラブの災害対応マニュアルだ。両クラブの結び付きは、2019年に東日本に大きな被害をもたらした台風19号の後の支援活動から始まった。

2019年9月の台風15号、翌10月の台風19号の相次ぐ襲来で、千葉県内では強風で建物の屋根が飛ばされるなど大きな被害が生じた。この時、佐倉ライオンズクラブのメンバーで麻賀多神社の宮司を務める宮本勇人さんの元へ、「金沢ライオンズクラブとして支援したい」と連絡してきたのが、宮司同士で以前から親交のあった長谷さんだった。佐倉ライオンズクラブは入手が困難になっていたブルーシートなど必要な品目を伝え、金沢から届いた物資を被災者支援に充てた。

これを機に、両クラブは2021年10月に災害アラート協定を締結し、翌22年6月には友好クラブの調印を行った。
「過去の経験から、災害支援はクラブ対クラブで行うのが動きやすいと考えていました。日本海側と太平洋側という位置関係なので災害時には互いに助け合えること、また両クラブとも機動力のある若手・中堅層がいることも決め手になりました」(夏海さん)

石川県内では、協定締結から1年後の2022年8月に豪雨災害が、翌23年5月には能登地方で最大震度6強の地震が発生し、その度に佐倉から金沢へ支援物資を送った。佐倉ライオンズクラブではまた、台風19号の経験を教訓に迅速な支援が出来る態勢も整えていた。災害対応マニュアルを作成した他、クラブ会長またはアラート委員長の判断でアラート積立金を即座に支出出来るようルールを定めた。これにより、2024年元日の能登半島地震に際しても素早い対応が出来た。

支援物資の配布を待って列に並ぶ人たち

能登半島地震の発生から30分後、今期333-C地区(千葉県)災害支援副委員長を務める宮本さんから夏海さんへ「金沢ライオンズクラブの安否を確認中」との連絡が入る。佐倉ライオンズクラブのアラート委員長である夏海さんはすぐに秋葉会長へ連絡し、アラート積立金支出の準備をするよう会計に指示が出された。また、佐倉・金沢両クラブのアラート委員会メンバーでフェイスブック・メッセンジャーのグループチャットを作成。被災地の支援に必要な情報を共有した。

佐倉ライオンズクラブが新年最初の理事会と例会を開催したのは1月10日。そこで金沢ライオンズクラブへの後方支援を正式に決定する。11日には、要請を受けて調達していた中・高年層女性向け下着、大人用紙おむつ・尿取りパッドを、金沢に向けて発送した。
「金沢の仲間のことが心配で、自分たちで物資を届けたい気持ちは強かったのですが、地区を通じて県外から支援に入ることを控えるようにとの通知もあり、宅配便で送りました。金沢ライオンズクラブがいち早く受け入れ窓口を明確にしてくれたため、他クラブから支援に関する相談を受けた際にも情報を共有することが出来ました」(夏海さん)

佐倉ライオンズクラブはその後も後方支援を継続。夏海さんと宮本さんがクラブからの見舞金と支援物資を携えて金沢を訪れたのは、地震発生から1カ月余りが経った2月15日のことだ。2人は石浦神社で金沢ライオンズクラブのメンバー6人の出迎えを受けて再会を喜び合い、翌日には輪島サテライトに支援物資を届けた。

2月末、金沢ライオンズクラブは生活必需品のニーズは解消されたと判断し、物資支援を終了。支援活動を炊き出しにシフトした。断水が続いている地域が多く、被災者から炊き出しの要請が多かったためだ。金沢ライオンズクラブは今後も佐倉ライオンズクラブの協力を受けながら、被災者に求められる支援活動を続けていく。

2024.04更新(取材/河村智子 写真提供/金沢ライオンズクラブ)