獅子吼 歴史探訪の楽しみ

歴史探訪の楽しみ

私は、自らが暮らす地域の歴史や文化について出来得る限り多くを知り、理解を深めるのはとても大切なことだと思います。「過去があるから今がある、今があるからこそ子どもたちの未来がある」と考えるので、地元御坊市を含む日高地方の歴史をPRして少しでも地域の発展につなげたいという思いを持っています。

私は歴史、特に古代史に興味があるのですが、今も研究を続けるきっかけはもう70年近く前、御坊市立湯川中学校に通っていた頃のことです。思えば私は当時から、数ある教科の中でも日本史が一番好きでした。詳しくは後述しますが、校舎の北側を走るJRきのくに線を渡った所に「宮子姫」の像があり、近くの吉田山の山肌には宮子姫の壁画(当地を代表する日本画家・山崎容子さんの作)が描かれていました。また宮子姫が生まれたこの地のことを「九海士(くあま)の里」と呼ぶのですが、「海人(あま)」ではなく「海士」であり、さらに「9人の士」と記されているのを見て、「なぜかな?」と疑問に思ったものでした。

大学を出てからしばらくは東京で仕事をしていましたが、1972年に30歳でUターンして日高新報社という地元の日刊新聞社に入社しました。52年目となる現在、同社の代表取締役会長を務めています。入社当時は大変な職場で、週に2~4日は徹夜しなければ新聞が発行出来ないというピンチが続いていました。そんなこんなで17年余り新聞発行に全力を注ぎ、古代史を調べる時間はありませんでした。

ようやく研究を始められたのは50歳も近くなってからです。御坊市の人口は1955年の約3万1700人をピークに減少傾向にあり、次第に人口流出が激しくなっていきました(現在は2万1400人)。過疎化が進む中で、故郷を何とか発展させたい、元気にしたいという思いでいっぱいになりました。そして、人口が減るのならば、魅力ある観光資源をきちんと開発して多くの人に何度も来訪してもらえるようにすればよい、と考えました。観光客が増えればそれに携わる仕事に就く人が増えて人口流出に歯止めがかかり、増加にも転じるのでは、との思いがありました。

当地の観光資源で一番大きな目玉は、能や歌舞伎にもなった「安珍清姫」伝説で知られる「道成寺」です。時の文武天皇に願い出て701年の道成寺建立に導いたのが、その妃(きさき)の宮子姫でした。彼女は、奈良の東大寺を建立した聖武天皇の生母でもあります。その偉大な天皇の生母が地元・御坊の生まれなのです。そしてもう一つの目玉が「岩内1号墳」。ここには、天智天皇の御代、いわれなき陰謀の罪を着せられ、海南市藤白でわずか19歳で処刑された悲劇の皇子と呼ばれる有間皇子が眠ると言われています。研究を進めるうち、地名に関心を持つようにもなりました。盛大な祭りで知られる小竹八幡神社。祭神は神功(じんぐう)皇后と応神天皇です。日高地方には神功皇后の足跡が各所にあり、由良町の「衣奈(えな/胞衣<えな>は胎盤を意味する古語)」、日高町の「産湯」、美浜町の「逢母(おいぼ)」といった地名も関係があると伝えられています。「九海士の里」もその一つで、神功皇后がこの地の村びとに大変世話になったことに感謝し、この村を守るために9人の兵士を残していった、ということです。そこで私は初めて知ったのです。9人の兵士が残された漁村だから海人や海女ではなく「九海士」なのだと。まさに50余年を経て中学生の時の疑問が解けた瞬間でした。

最近は、地名の由来の真相を確かめるための取材をしています。これからもふる里の古代について調べるためにいろいろな場所に取材に行きたい。特に神功皇后と応神天皇について調べるとなると奈良、滋賀、北陸、九州などへも行かなければなりません。先日は1泊2日で福岡へ行ってきました。実際に現地へ赴くとこれまで知らなかったゆかりの史跡があるものです。新聞記事を書く上での原点が取材であるのと同じく、現地を踏まないと駄目だと思っています。

 (80年入会/81歳)

2023.08更新