取材リポート ビーチバレーボール大会で
地域を盛り上げる

ビーチバレーボール大会で地域を盛り上げる

バレーボールは1895年にアメリカで生まれた競技。バスケットボールのように激しい接触がなく、老若男女が気軽に楽しめる屋内スポーツとして考案された。そのバレーボールから派生したのが、ビーチバレーボールだ。こちらもアメリカ発祥で、1915年にハワイにあるカヌークラブのメンバーが、気晴らしのためにビーチにネットを張ってプレーしたのが最初だと言われている。砂浜でのレクリエーションから競技へと発展し、1996年のアトランタ五輪でオリンピックの正式種目になった。

日本では1987年に神奈川県藤沢市の鵠沼(くげぬま)海岸で開催された第1回ビーチバレージャパンを機に、広く知られるようになる。それから3年後の1990年に、第1回全日本ビーチバレー女子選手権大会(ビーチバレージャパンレディース)の開催地になった岬町は、以来毎年、この国内女子最高峰の大会の舞台になっている。そうした経緯から「ビーチバレーボールの町」のキャッチフレーズを掲げる町を盛り上げようと、岬ライオンズクラブ(竹本靖典会長/30人)は2008年からビーチバレーボール大会を主催している。小学生から大人まで幅広い世代が参加する大会で、16回目の今年は5月28日、98チームが参加して行われた。

府営せんなん里海公園内にある常設ビーチバレーボール競技場「潮騒ビバレー」

大阪湾に面する岬町は和歌山県との県境に位置し、海岸からは淡路島の島影と、湾内に浮かぶ関西国際空港が望める。1997年、岬町と隣の阪南市にまたがって府営せんなん里海公園が整備された。その主要施設として岬町内に建設されたのが、ビーチバレー競技場「潮騒ビバレー」だ。日本では初めて、世界でもアトランタに次いで2番目に出来た常設の競技場で、コート2面と3000人収容の観客席を備える。

オープンから数年間は女子の世界大会も行われ、地元は熱気に包まれた。しかしその後、国際的な大会は主に大都市圏で行われるようになり、人々の関心は次第に薄れていった。そんな状況の中、潮騒ビバレーでの大会を計画したのが、岬ライオンズクラブだった。

「女子の全日本選手権は毎年この岬町で開かれているものの、住民の方々にあまり認知されていない。そこで、こんなすばらしい施設があることを知ってもらい、ビーチバレーボールの普及を図ろうと考え、ライオンズクラブが中心になって大会を計画しました」
大会を始めた経緯を、道工晴久元会長はこう説明する。ビーチバレーで町を活気付けるために、子どもも大人も出場出来る大会にしようと、小学生、中学生男・女、一般男・女の5部門を設けた。

時間内に全ての試合を終えられるよう、ボランティアと協力して運営に当たる

こうして始まった岬ライオンズクラブ主催のビーチバレーボール大会は、大阪府、府公園協会、岬町と阪南市の後援、両市町の観光協会、体育協会、バレーボール協会、教育委員会などの協力を得て開かれている。第1回大会の参加チームは37チーム、登録選手は173人。その後、年を追うごとに参加チームが増え、コロナ禍による2回の中止を経て再開した2022年の第15回大会では、86チーム、441人になった。クラブによる参加募集は、ホームページでの告知と、前回出場チームへ案内を送る程度だが、府南西部の泉南地域を中心に和歌山県や奈良県からの参加もある。第16回の今大会は98チーム、497人で過去最高を記録した。

「非常に人気が高い大会で、年々盛大になって喜んでいます」と話す竹本会長だが、その一方で心配もあると言う。これ以上出場チームが増えれば、1日で競技を終えるのが難しくなる可能性がある、という悩ましい問題だ。実際、今年の大会は準備段階では9時から17時までの予定だったが、予想を上回る参加申し込みがあり、時間内に確実に競技を終えられるよう、急きょ開会式のスタートを15分繰り上げた。

その開会式では、クラブのメンバーでもある岬町の田代堯町長があいさつし、ビーチスポーツを通じた地域活性化への期待を述べると共に、出場選手へ激励の言葉を送った。来賓あいさつに続いて競技ルールや注意事項の説明が行われた後、競技がスタート。試合に使われるのは潮騒ビバレー内のコート2面と、浜コート6面の計8コートだ。この砂浜には普段からビーチバレー用ネットが張ってあり、誰でも自由にプレー出来るようになっている。

ビーチバレーの公式試合は通常、1チーム2人の2人制だが、岬ライオンズクラブの大会は4人制で行われ、各部門で予選リーグ、決勝トーナメントを戦う。ビーチバレーならではのルールで、オーバーハンドのサーブレシーブや指の腹を使ったフェイントは反則。出場者のほとんどはバレーボール部の部員やその経験者なので、慣れないルールや砂のコートに戸惑う様子も見られた。小学生の部の選手に感想を尋ねたところ、「走りにくいし、ジャンプしにくい」「風があるので難しい」という答え。それでも、競技が進むにつれてラリーが続くようになり、白熱した試合が展開された。

この大会に欠かせないのが、競技委員や主審を務めるボランティアスタッフの存在だ。現在、大会運営の中心になっているのは、町内のママさんバレーチームで活動する女性たち。春先からクラブと打ち合わせを重ねて、プログラムなどの事前準備から試合の進行までを担ってくれる。岬ライオンズクラブの会員は大会前日に本部の設営や備品の点検を行い、当日はボランティアと協力して運営に当たる。試合に欠かせない主審は、試合数が増えたこともあって必要な人数を集めるのはひと苦労だが、町内のバレーボール経験者などの協力で何とか確保。線審やスコアラーは同部門の他のチームから出すシステムで、皆の協力によって大会が成り立っている。

「クラブの会員が少なくなっている一方で、事業の趣旨に理解を示すボランティアが年々増えています。ライオンズの地域に根差した活動を多くの人に知ってもらい、協力を得ていることが、クラブにとっては一番大きな喜びです」(道工元会長)

この日、開会時の空は白い雲に覆われていたが、昼前には太陽が顔を出した。青空の下、海風を受けてプレーするのは何とも気持ち良さそうだ。昼時にはすぐ脇にある専用エリアでバーベキューを楽しむチームもあり、ビーチスポーツならではのくつろいだムードが漂っていた。一般の部の選手たちは試合でもリラックスして楽しんでいる様子だったのに比べて、小中学生の部の選手たちはより真剣な表情で、中には試合に敗れて悔し涙を流す選手の姿もあった。

スタッフの努力のかいあって試合は決勝戦まで順調に進み、予定していた午後5時を前に全ての日程が終了した。来年もまた、世代を超えて大勢の選手がこの大会に集い、真っ白い砂の上でプレーを楽しむことだろう。

2023.07更新(取材・動画/河村智子 写真/田中勝明)