投稿リポート 中村哲氏の功績を顕彰する
記念碑、記念塔を建立

中村哲氏の功績を顕彰する記念碑、記念塔を建立

戦乱や干ばつで荒廃したアフガニスタンで、多くの市民と共に人道支援、復興支援の歩みを進め、2019年12月4日に凶弾に倒れた中村哲医師(享年73歳)。朝倉ライオンズクラブ(88人)は、生前に中村医師を招き講演会を開催した他、その活動に賛同しアフガニスタンでの新水車製作費を寄贈した経緯がある。福岡県生まれの中村医師は郷土の誇りであり、その功績を後世に伝えたいと、この度クラブ結成60周年の記念事業として中村医師の記念碑と記念塔を建立した。2月27日に行われた竣工式には、氏が現地代表を務めていたペシャワール会の村上優会長や、記念碑の寄贈を受けた朝倉市の林裕二市長らが出席した。

記念碑は、御影石製で高さ約3m。中村医師の肖像と、氏がここを訪れた際に読んだ句「濁流に沃野夢見る河童かな」が刻まれている。その傍らに立つ高さ約3.5mの石塔は、アフガニスタンにある中村医師の記念塔を模したもので、故人が好んだ言葉「照一隅」が刻まれた。

記念碑の設置場所は、朝倉市を流れる筑後川に築かれた山田堰(やまだぜき)が見渡せる山田堰展望広場だ。江戸時代に水田に水を引くため作られた山田堰は、世界に誇る日本の灌漑(かんがい)技術の原点とも言える。中村医師は1984年からアフガニスタン等で医療支援を行っていたが、同国が大干ばつに見舞われると1600本の井戸を掘削。その後「100の診療所より1本の用水路」を掲げ、独学で山田堰をモデルにした取水堰を建設し灌漑事業に取り組んだ。2019年には1万6500ヘクタールもの荒れ果てた農地や砂漠が緑に変わり65万人の暮らしを支えるようになり、アフガニスタン政府から国家勲章と名誉市民権が授与されている。

竣工式典では、中村医師の妻尚子さんの手紙が読み上げられた。氏の死後もアフガニスタンで灌漑事業が続けられていることに触れ、「緑の大地がますます広がっていくことを願うばかりです。主人も記念碑から山田堰を眺めながら応援していることでしょう」とされた。

この記念碑と記念塔を通じて、中村哲ファンや修学旅行生、外国旅行者の誘致等にも貢献出来そうだ。現在、英語の説明文作成にも取り組んでいる。朝倉ライオンズクラブは世界中に惜しまれた中村哲医師の偉大なる功績をたたえ、尊敬と感謝を込めて永久に顕彰していく。

2021.04更新(会長/林隆雄)