テーマ 障がい者が生き生きと
楽しめる場所を作りたい

障がい者が生き生きと楽しめる場所を作りたい

夏の間、水遊びではしゃぐ子どもの声が響いていた公園の池を、この日は釣り糸を垂れる人たちがぐるりと取り囲んだ。大きな魚を釣り上げて誇らしげな人、針にかかった魚に恐るおそる手を伸ばす人、表情はさまざまだがみんな楽しそうだ。心身に障がいのある人たちが参加する高山市障がい者魚釣り大会は初秋の恒例行事で、今年が37回目の開催。会場の赤保木公園は、江戸後期から明治にかけて建てられた商家が連なる「さんまち通り」のある高山市中心部から、車で15分ほどの所にある緑豊かな公園だ。

障がい者魚釣り大会は、高山市社会福祉協議会(西永由典会長、以下社協)と高山ライオンズクラブ(熊田勝一会長/85人)の共催で行われている。社協が障がい者施設や在宅の障がい者への参加呼び掛けや大会運営を担当、ライオンズクラブは魚釣り用のマスやイワナ約800匹を提供し、軽食やおやつを用意する他、メンバーが釣りの補助や釣り糸に針を付ける係を担当する。池に放たれた魚の中には大きな魚が含まれていて、大物を釣り上げた参加者には大物賞が贈られる。今年の大会は9月19日、爽やかな秋晴れの下で行われた。

障がい者魚釣り大会が始まったのは1982年のこと。前年の81年は、国連が定めた国際障害者年だった。この年、高山ライオンズクラブの会員で高山デンバー友好協会の会長だった平田道夫さんは、アメリカ・コロラド州デンバーを訪れて障がい者用の釣り場を見学。そこで障がい者が地域の中に溶け込み、生き生きと楽しんでいる姿を目にして大きな感銘を受ける。平田さんは帰国すると早速、高山にも障がい者が楽しめる釣り場を作ろうと動き出した。その熱意に高山市と高山ライオンズクラブが応え、早くも翌82年10月に第1回障がい者魚釣り大会の開催にこぎ着けた。高山ライオンズクラブの初代幹事だった平田さんは国際感覚に富んだ人物で、『ライオン誌』61年10月号にアメリカやヨーロッパ諸国のライオンズクラブを訪ね歩いた旅の手記を寄せている。その中で、会員300人近くを擁する大クラブ、デンバー ライオンズクラブに触れ「クラブが大きいからでもあろうが、立派な事業をどんどんやりながら、一方にはデンバー・ライオンズ財団を持って独立した人格として並行的に青年子女の育成のための奉仕事業を展開している」と大いに感心している。後にデンバーで見学した釣り場も、デンバー ライオンズクラブが関わった施設だったのかもしれない。

国際障害者年は「世界の人びとの関心を、障がい者が社会に完全に参加し、融和する権利と機会を享受することに向ける」ことを目的に国連が定めたもので、「完全参加と平等」というテーマを掲げて世界各国に行動を促した。日本ではこれを受けて、81年に国として初の本格的な長期計画を策定し、それがその後の障がい者施策の取り組みや法改正につながっていく。

日本のライオンズクラブはその草創期から、視覚障がい者を助ける盲導犬育成や献眼運動、肢体不自由児の支援などさまざまな支援活動に取り組んでいたが、国際障害者年を機により一層障がい者福祉に力を注いでいく。81年から82年にかけての年度は、国内初の東京ライオンズクラブ結成から30年目の節目の年で、日本ライオンズはその記念事業の一つとして、国際障害者年にちなんだ記念映画「ユリ子からの手紙」を製作。今村昌平監督が手掛けたこの映画は、社会に出て働く知的障がい者の姿を追ったドキュメンタリーで、81年4月から5月にかけて全国32の民放局を通じてテレビ放映された。更に全国各地のクラブが、地域の障がい者のニーズに応え、また障がい者への理解を広める啓発活動に取り組んだ。広島県・府中ライオンズクラブは視覚障がい者、肢体不自由者と共に1泊2日のサマー・キャンプを行い、千葉ライオンズクラブは「身体障害者ビームライフル射撃大会」を開催。福井県では福井中央ライオンズクラブの呼び掛けで、県内の各ライオンズクラブが「身体障害者社会復帰実態調査」を実施し、地方新聞各社に大きく取り上げられた。

高山ライオンズクラブ25周年記念誌より

「障がい者が健常者と同じように楽しめる場を作ろう」という高山ライオンズクラブの平田さんの提案から始まった障がい者魚釣り大会は、まさに国際障害者年の理念を形にしたものだった。提案を受けた高山市は、市内を流れる川上川の川辺に幅10m、長さ90mの堀を築き、高山ライオンズクラブは車椅子が川辺に下りられるように専用のスロープを設置。その入り口には「心身障害者専用魚釣り場」の看板が立った。当時の高山身体障害者福祉協会の保崎嘉造会長は、第1回大会の喜びを次のように記している。

「魚釣りなんて生まれて初めて、そして、平生あまり大きい声を出したことのない児童を始め我々の同志の明るい笑い声。『おじさん来年も魚釣りをさせてくれよきっと』と手を握って確かめたあの子どもたちと、車椅子の同志たち、あの本当に明るい笑顔こそ忘れることの出来ない一事です」(高山ライオンズクラブ25周年記念誌より)

この画期的な障がい者専用の釣り場は、残念ながら2年後に台風で破損して使えなくなり、翌年の大会は高山市街から車で30分ほど離れた山中にある宇津江四十八滝の渓流で行われた。自然の中でマスのつかみ取りや川遊びが楽しめる場所ではあったが、足場が悪く車椅子の利用者には不向きだった。その後は障がいのある人たちが動きやすい公園に場所を切り替え、88年からは最初に釣り場を設置した場所に近い赤保木公園を会場にしている。川上川の河畔にあるこの公園には、木々に囲まれた広い池があり、車椅子で容易に池の端へ近づくことが出来る上、身体障がい者用のトイレも整備されている。

高山ライオンズクラブは毎年、大会の開会前に近くの会場で「障がい者魚釣り例会」を開き、メンバー全員参加の態勢で臨んでいる。大会前日に会場の設営を行い、当日は午後1時に始まる大会の開会式を前に、午前中から調理班が準備に取り掛かった。担当の会員たちは大きな鉄板で、参加者に配る焼きそばを焼いていく。以前は菓子類だけを用意していたが、メンバー手作りのものを食べてもらいたいと、2年前から焼きそばを作って提供し始めた。高山ライオンズクラブでは県立飛騨特別支援学校の「ひだっこ祭」で焼きそばや豚汁などを販売して益金を同校に寄贈しており、この時に販売する焼きそばがおいしいと評判だったことから、魚釣り大会で参加者に振る舞うことにした。具材はキャベツと豚肉だけというシンプルな焼きそばだ。慣れた手つきでコテを振るう山本弘樹さんによれば、おいしさの秘訣は良質な豚肉を使っていること。豚肉は養豚業を営むメンバーの吉野毅さんが提供している。

開会式が終わると、参加者は用意された釣り竿を手にして釣りをスタートした。釣り糸の先には小さなカギ針が付けてあり、その針で魚を引っ掛けて釣る。大勢が一度に釣り糸を垂れるので、糸がからまったり、針が取れたりすることも多い。そんな時、釣り竿を直すのはライオンズ・メンバーの役目。釣りが得意な人を中心に、からまった糸を解き、針を付けていく。また、池の側には釣りをサポートする役割のメンバーがいて、なかなか釣れない人に代わって魚を釣り上げたり、針から魚を外してあげたりと手伝いをする。釣り上げた魚はそのまま持ち帰ってもよいし、希望者は近くの調理施設で塩焼きにしてもらうことも出来る。

大会が閉会した後、ライオンズのメンバーたちはわずかに池に残った魚を網ですくい上げ、池の底に針が落ちていないか念入りに確認していた。来年もまた、この池の周りに笑顔が集い、生き生きとした歓声が響きわたる。

2018.11更新(取材/河村智子 写真・動画/宮坂恵津子)