歴史盲導犬:
歩くという自立

盲導犬:歩くという自立
訓練を受ける盲導犬

日本における盲導犬事業は、欧米から約半世紀遅れてスタートした。当時、盲導犬事業で世界をリードしていたのはドイツで、1916年、第一次世界大戦により失明軍人が急増する中、盲導犬学校を設立。同国が誇る作業犬ジャーマン・シェパードを訓練した。日本にも1939年にドイツから4頭の盲導犬が導入され、失明した兵士の社会復帰のために活用されたが、残念ながら戦後の混乱の中、事業として育つことなく消滅してしまった。

視覚障害者支援を重点活動の一つとしてきた日本のライオンズクラブにとって、盲導犬の育成は自国で再び芽吹かせ根付かせるべきものだった。ライオン誌日本語版の編集責任者も務めた東京ライオンズクラブの福岡陽道会員は、1962年にアメリカの盲導犬訓練発祥の地であるモリスタウンを視察。またシカゴにあるライオンズクラブの国際本部を訪ね、盲導犬ユーザーである職員の男性タイピストと対話した。「犬と暮らす中で、見えない自分を忘れている」という彼の言葉に感涙し、日本に盲導犬協会を持ちたいという思いを更に強くし帰国する。

思いが形を成すための核が誕生したのは1964年。東京霞ヶ関ライオンズクラブの久米権九郎会員は、東京パラリンピックに参加した日本選手の多くが療養所で暮らしていたのに対し、外国人選手は職を持ち社会の一員として働いていることを知り、その違いに衝撃を受けた。視覚障害者が社会に出るために盲導犬の育成が不可欠だと考えた久米会員は、自身が社団法人日本動物福祉協会(JAWS)の会員でもあったことから、即座にJAWSの理事会に諮り満場一致で盲導犬学校委員会を発足させたのである。また東京霞ヶ関ライオンズクラブには後援を求め、こちらも全会員の賛成を得て継続支援することが決議された。

しかし好事魔多し。精力的に盲導犬育成を推し進めていた久米会員が、1965年7月、道半ばにして世を去ってしまう。後に『ライオン誌』に掲載された彼の遺書。
「皆さん日本には29万の盲人の方たちが一人で自由に歩き、仕事をし社会に復帰するために『盲導犬』の与えられる日を待っていることをご存じですか? 私も『盲導犬』を訓練する学校を創るお手伝いをしだした今、こうして逃げ出すのは誠に残念です。どうか皆さん、この仕事を助けてあげてください。では元気でね」(抜粋)

盲導犬学校を卒業した一期生たち

1966年6月、久米会員の遺志を継ぎ財団法人日本盲導犬協会が設立された。財団の理事長及び理事にはライオンズ・メンバーが名を連ねた。全国のライオンズクラブや会員、また新聞やラジオなどで盲導犬協会の発足を知った善意の人々から献金が寄せられ、基金は400万円に達した。1968年3月には8頭の盲導犬が訓練を終えて卒業し、それぞれ待ち焦がれるユーザーの元へ送り出されていった。

訓練校第一期生の1頭アスターは、東京都文京区で三療業(あん摩マッサージ指圧、鍼、灸)を営む宇佐美英雄さんに引き取られた。宇佐美さんの仕事は出張治療が多かった。大体自宅から半径2kmの範囲内だが、それまでは家族に送り迎えをしてもらわなければならなかった。しかしアスターが来てからは、気兼ねなく出掛けることが出来るようになった。宇佐美さんは、自分のペースで歩けるということは物理的な面だけではなく、精神の自立につながることを実感した。仕事の効率は3~4割も上がり、収入も増え、「私は納税者になりました」と喜びを語っている。余暇にはボランティアでマッサージ技術を教えるようになった。

宇佐美さんにとってアスターは「十二分どころか十五分」に優秀だったが、有能であるが故の失敗談もある。笑い話である。ある日宇佐美さんは友達と一緒にアスターを連れて焼鳥屋へ行き、楽しく過ごした。それ以来、アスターは店の前を通ると必ず足を止める。その度に店の親父に「一杯やっていきませんか」と誘われてしまう。家族と一緒の散歩中に、付き合いで入ったことのあるバーの前で止まられてしまった、などというのも盲導犬ユーザーの「あるある」らしい。

韓国から警察犬訓練士が来日し、1年間の盲導犬育成トレーニングを受けた

1989年、日本の盲導犬事業は海を越えた。きっかけとなったのは、1988年に韓国で開催されたパラリンピックの開会式。日本から参加していた盲導犬の姿が、テレビに映し出されていた。当時韓国で盲導犬はほとんど普及しておらず、訓練所も無かった。そこで栃木県・黒磯ライオンズクラブが、姉妹提携を結んでいた韓国・大邱達西ライオンズクラブの協力を得て盲導犬を贈呈することになった。ユーザーとして選ばれたのは、10年前に交通事故で失明した大邱市に住む男性だ。来日し、栃木県盲導犬訓練センターでの訓練を経て、これからの日々の生活で傍らに寄り添うことになる盲導犬チャンピーと共に帰国の途に就いた。栃木県が所属する333-B地区のライオンズは、以後チャンピーが健康診断を受けるための資金を出し合い贈呈した。

日本から贈られた盲導犬は大きな反響を呼び、大邱市では盲導犬が公共の乗り物に乗れるように法令を改正。更に韓国国内に盲導犬協会を設立しようという機運が高まり、韓国の警察犬訓練士が日本で1年間のトレーニングを受けることになった。この訓練士もまた、パラリンピック開会式の様子をテレビで見て、心を動かされた一人だった。東京パラリンピックが日本で盲導犬事業が始まるきっかけを作ったように、韓国パラリンピックでもまた種がまかれた。そしてその種をライオンズクラブが芽吹かせたのである。

2018.10更新(文/柳瀬祐子)