獅子吼
官民連携で
ウクライナ避難民を支援
鈴木秀信(新潟県・小千谷LC)
2022年3月、小千谷市の市長が、ロシアの侵攻に伴うウクライナからの避難民を受け入れる考えを表明。その4日後に「おぢや避難民支援の会」が発足しました。
小千谷市は2004年の中越地震の際、日本全国、また世界各国から多大なるご支援を頂き、復興を進めてきました。少しでもその恩返しがしたいと、東日本大震災の時には避難を希望される被災者を市として受け入れました。私たち小千谷市民には、ロシアのウクライナ侵攻で苦しんでいる人たちに手を差し伸べたいという強い思いがあり、小千谷市、小千谷ライオンズクラブ、小千谷ロータリークラブ、小千谷商工会議所青年部、小千谷商工会議所女性会、(一社)小千谷青年会議所、小千谷海外留学生支援協議会、小千谷国際交流の会、小千谷市倫理法人会、企業等の協力団体が手を携え、官民連携組織「おぢや避難民支援の会」を設立したのです。私はライオンズメンバーとしてではなく、個人として当会の会長を仰せ付かっています。
組織体制作り、運営準備、SNS等での情報発信を進める中で、発足からわずか1カ月後に、私たちのSNSを見たという避難民の方から問い合わせがありました。連絡を取り、避難状況や、どのような生活を送っているのかといった情報を収集する中で、悲惨で苦しい状況が見えてきました。出来るだけ早くこの安全な日本に来てもらいたいとスロバキア大使館やポーランド大使館とも連絡を取り、ようやく難民ビザが認可されて、5月28日、彼らは無事羽田空港に到着したのです。
ウクライナから避難されたのは、ムクタル・サリフさん(38歳・男性)と、その妻のイリナ・シェフチェンコさん(39歳・女性)。ムクタルさんはアフリカのガーナ出身で、ガーナで看護師として働いた後、2013年からウクライナの医学大学に通いました。専門は外科ですが、卒業後はウクライナで総合診療医となりました。イリナさんはウクライナ人で、オンラインで会社の契約書を作成するなどの仕事をしていました。
2人はウクライナ東部の町ドニプロで暮らしていましたが、ムクタルさんが医大を卒業して研修医として働き始めた頃に戦争が始まり、スロバキアに避難。ここで日本の避難民受け入れ情報を目にしました。そして、以前から日本の文化や歴史に興味があったこと、安全で人種差別がないと聞いたことから、精神的に弱っている妻と自分の人種を考慮した結果、日本へ行くことを決意しました。ムクタルさんの出身地であるガーナ北部はブルキナファソとの国境付近で武力紛争が勃発し、危険なため帰国出来ないのだと言います。
またドニプロは日本とつながりが深く、多くの日本企業が進出しており、現ドニプロ市長は高校生の頃から日本に興味を持っていて、日本デーというイベントや日本語弁論大会を開催していました。日本の桜を植樹した美しい桜通りもあり、市民や観光客の大切な憩いの場になっていました。侵攻が始まる3カ月前には、日本の版画200点以上を集めた大規模な展覧会も開催されました。そうした点からも、2人は日本を身近に感じていたようです。
来日して市内の教員住宅に住むことが決まり、全国から温かい支援もたくさん頂いて、生活必需品などはすぐに整いました。小千谷で安心して生活を送ってもらえるように、まずは生活に慣れて楽しんでもらうこと、顔見知りを増やしていくこと、生活に必要な日本語を覚えてもらうこと、孤独や過度のストレスを感じさせないこと、自立した生活を送れるよう就労支援を行うことなどを、大切にしていかなければならないと思っています。そして日本や小千谷の文化を知ってもらったり、イベントなどに連れて行ったり、2人の経験や思いを市民に話してもらったり、いろいろな交流を体験してほしいです。実際、近隣のライオンズクラブに招かれて講演活動などもしています。イリナさんはおとなしい性格で人混みは苦手ですが、子どもは大好き。小千谷の子どもたちにウクライナの話をしてあげたいと言っています。来日当初は気候や言葉の壁などに困惑し体調が優れない時期もありましたが、今は少しずつ日本に慣れて心豊かな生活が送れていると思います。
ムクタルさんとイリナさんが小千谷に暮らして2年が過ぎた今もなお、ドニプロの町は武力攻撃を受けており、胸が張り裂けるような思いをされています。おぢや避難民支援の会はこれからも官民一体となり、住宅の提供、就労、学校教育、福祉医療、日本語教育、生活支援など、各組織の得意分野を生かし、ボランティアの協力も得て、市民、企業、団体の支援を得ながら、避難された方が少しでも笑顔を取り戻せるよう小千谷の生活環境を整え、また心の支援にも精一杯取り組んでいきます。
(テール・ツイスター/2018年入会/50歳)
2024.09更新