取材リポート ふじ山夢ロードに植樹した
桜ともみじの維持作業

ふじ山夢ロードに植樹した桜ともみじの維持作業

古くから日本人に愛されてきた富士山は、2013年には世界文化遺産に登録された。理由は「信仰の対象であり、芸術創作の源泉である」こと。9世紀に起きた噴火の沈静化のために浅間神社が建てられ、火山活動の収束後は修験者が目指す修行の山として信仰の対象となった。江戸時代から昭和初期にかけては主に関東地方で「富士講」が流行。聖地である富士山の登拝を行う人が多く現れた。葛飾北斎の富嶽三十六景はこのブームがきっかけで描かれたとも言われている。

今も多くの人をひきつける「神奈川沖浪裏」などに代表される富嶽三十六景を始め、多くの芸術作品に富士山は登場する。10世紀には既に富士山を描いた屏風絵があったという記録があり、現存するものでは11世紀に描かれた「聖徳太子絵伝 第三面」が最古のものだ。これは、畏怖の象徴でもあった富士山を太子が飛び越える姿を描くことで、その超人性を象徴している。当時はこのような作品が多く描かれたが、そのほとんどが実物の富士山を見ず、想像で描かれたものと推測されている。その後は単に背景として描かれる時代があり、やがて室町時代ごろから富士山を主題とした作品が増えてくる。絵画以外にも、例えば『万葉集』には富士山を題材とした和歌がいくつか詠まれ、日本最古の物語と言われる『竹取物語』にも富士山を思わせる記述がある。

そんな富士山へと向かう道を、整備しているライオンズクラブがある。富士マウント ライオンズクラブ(服部伸也会長/48人)だ。クラブでは10年前、2010年5月から広域基幹林道富士山麓線の一部、富士市部分を整備し、「ふじ山夢ロード」と名付けて活動を続けている。

富士マウント ライオンズクラブは当時、11年の結成20周年を前に「富士山にみどりを」というテーマで何か出来ないかと探していた。そんな折、富士市議会で富士山麓線に自然保護、景観、観光面を考えた植樹を検討しているという話を聞いた。しかし行政で実施するには優先順位が低いという。そこで富士マウント ライオンズクラブが手を挙げた。こうして10年5月、11年のクラブ結成20周年記念式典に文字通り花を添えるプレ事業として、大富士花木生産組合を始めとした各団体のボランティアと共に、市が提供した約200本の桜ともみじの苗木を植樹した。この時予定していた記念式典は東日本大震災の発生を受けてキャンセル。式典に掛かるはずだった費用を義援金にして被災地に贈った。

その後16年までの7年間、クラブで毎年植樹を続け、終点を富士宮市との境とした全長約6.5kmのふじ山夢ロードが完成した。春には桜、秋にはもみじが街道を彩り、木々の合間から富士山が見られる新たな観光名所になることが期待されている。実際、インターネット上にはドライブやツーリングの道として通ったという感想が散見されるなど、評価は上々のようだ。

クラブの活動はふじ山夢ロードの完成によって完結したわけではない。以後も毎年2回、5〜6月と9〜10月に維持管理事業を実施している。春は補植とゴミ拾い、秋は下草刈りと剪(せん)定、ゴミ拾いを行う。例年、近隣住民からも参加者を募集し、一緒に行っている。

今年も9月13日、富士マウント ライオンズクラブはふじ山夢ロードの整備事業を行った。ただし、今回は新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、参加したのはクラブ・メンバーだけだ。8時30分に集合したメンバーはまず検温をし、四つの班に分かれて作業をする。この日は雨が降ったり止んだりする涼しい気候だったため熱中症のリスクは低かったが、医師であるメンバーを中心に数人が救護班として待機した。

各自、チェーンソーや芝刈り機を使って下草や伸びてしまった枝を切っていく。道路に枝が出てしまうと危険なので、注意する。このふじ山夢ロードを含む富士山麓線は富士市から富士山へ向かう観光道路だ。そのため、地元の人はあまり通らない。だが、たまにゴミを捨てていく不届き者がいると言う。今年も一カ所に大量のゴミが捨てられており、メンバーが除去していた。剪定を行う班とは別に植木屋を営むメンバーが樹木の状態をチェック。状況に応じて支えを施すなど、元気に育つよう手を掛けている。肥料をやるメンバー、消毒をするメンバーもおり、まさにクラブ一丸となって実施している事業だ。

今年の6月にも補植を実施した(写真:クラブ提供)

これだけ手を掛けても、植えた苗木の1割ほどが枯れてしまうという。理由はさまざまだが、一つには富士山付近の溶岩層の影響がある。植樹時にも重機で穴を開けたほど硬い地面なのだ。定着するのも簡単なことではない。

それでも少しずつだが着実に、植樹した苗木は育ってきている。クラブではいつかこの場所で青少年向けのマラソン大会や自転車競技会を実施したいと考えている。メンバーは「うちらがもういなくなった頃かもしれないけどな」と言いながらも、春には桜の花が舞い、秋には真っ赤な紅葉越しに富士山が見える、そんな未来のふじ山夢ロードを思い描いて作業を進めていた。

2020.10更新(取材・動画/井原一樹 写真/関根則夫)