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すし屋の支援弁当

休校中の子どもたちへ すし屋の支援弁当

新型コロナウイルスの感染拡大防止のために学校が休校になり、3月10日に子ども支援弁当を配り始めました。店の前に「幼児から高校生までお弁当無料」と貼り紙を出し、初日は40食用意して、配ったのは30食ぐらい。それから定休日の木曜日以外は毎日続けていたところ、口コミが広まり、4月に入ると多い時には100食ぐらいになりました。今日(5月29日)は50食ぐらい用意しています。

食事を提供するボランティアは、9年前の東日本大震災の時にも経験しています。福島県のいわき市や川内村で計23回、すしの提供をしました。震災が起こった後、何かの役に立ちたいと、いてもたってもいられない思いでしたが、すしの炊き出しの受け入れ先はなかなか見つかりませんでした。大宮中央ライオンズクラブの先輩のつてで最初に行ったのが、震災発生から3カ月後、いわき市の海岸沿いにある薄磯地区の合同慰霊祭です。埼玉県鮨組合の仲間やライオンズのメンバーなど13人で行き、500人前のすしを握りました。集まった方々には「久しぶりにおすしを食べた」と喜んでもらいました。

子ども支援弁当を始めたそもそものきっかけは、先代の父(故・関根利夫1989-90年度330-C地区ガバナー)の教えです。「いつ大きな災害が起こっても、3日間ぐらいは町の人の助けになれるように食材を確保しておけ」という教えを守って、店の冷凍庫には普段からたくさんの食材が入っています。3月になって休校が始まった時、冷凍庫にある揚げ物などの食材を使って、子どもたちと食事の準備に困っている保護者のためにお弁当を作ろうと思ったんです。

子ども用なので味は薄めにすることと、衛生管理にはすごく気を使います。お弁当を渡す時には、すぐに食べない時は必ず冷蔵庫に入れて、電子レンジで温めて食べるようにと伝えています。お弁当を取りに来るのは、ほとんどが小学校低学年の子どもたちです。最初のうち「ありがとう」と言ってくれる子は3分の1ぐらいでしたが、弁当の配布を手伝ってくれている妹(関根雅美さん/大宮グリーン ライオンズクラブ会員)が子どもたちに気さくに声を掛けていたこともあって、だんだんと「ありがとう」と言ってくれる子が増えました。

今年度(2019-20年度)私は大宮中央ライオンズクラブの第44代会長ですが、2月以降は感染予防のために活動を自粛して、例会も理事会も休止しています。そんな中で、クラブの有志の皆さんからは、支援弁当に協力金を頂きました。全国のライオンズクラブやメンバーにも、協力してもらっています。Facebookで子ども支援弁当について投稿したら、それを見たメンバーが「私にも協力させて」と食材を送ってくれるようになったんです。最初は3月半ば、群馬県・大間々ライオンズクラブの女性メンバーがお米30kgと鮭フレークの瓶詰めを届けてくれました。その後も北海道の函館からはお米と出汁用昆布、岡山からはお絵かき帳など、会ったこともない全国各地のライオンズが協力してくださって、本当にありがたく、感謝しています。

今日の弁当は、友人が届けてくれた豚肉を使った肉野菜炒めです。私が弁当支援をしていることを知って、友人の他、仕入れ先の市場でも「関根さん、これ持ってって」と食材を提供してくれます。マグロの大トロをもらったこともあって、これはくれるぐらいですから、生ではおいしくありませんが、焼いたらすごくおいしい。このマグロステーキ弁当は、「最高にうまかった!」と言われました。

弁当の配布には妹で大宮グリーン ライオンズクラブのメンバーでもある雅美さんも協力

支援を始めてから1カ月ぐらいは、弁当用の容器に詰めて渡していましたが、途中から弁当箱を預かる方式に切り替えました。4月半ば頃、テイクアウトが増えたことで山積みになったプラスチックゴミの映像をニュースで見て、何とかしなきゃと思ったんです。前日に名前を書いたお弁当箱を預かり、翌日取りに来た時に次の日のお弁当箱を預かります。多い時で大体80個ぐらい。こういう時期ですから、弁当箱のふたを開ける前と、開けて料理を詰める前に消毒し、料理を詰めた後にも食用の除菌スプレーをするなど、取り扱いには注意しています。気温が上がると食中毒の恐れがあり、弁当の配布は5月いっぱいで終了しますが、支援で頂いた食材がまだたくさんあるので、今後は土日限定で、ゼリーなどのデザートや冷凍食品の配布を続けることにしています。

父は17年前に亡くなりましたが、もし元気だったら一緒に弁当を作っていたでしょうね。きっともっといろいろ工夫して、炊き込みごはんとか作っていたかもしれません。本当は旬のタケノコご飯も作りたかったけど、そこまでは出来ませんでした。それでも、父の教えを守ることは出来たかな、と思っています。

2020.07更新(取材/河村智子)

せきね・としあき:1957年2月、埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。高校卒業後、東洋大学夜間部に通いながら父が営む寿司割烹山水を手伝い、大学3年で中退してすし職人の道へ。現在、一般社団法人埼玉県調理師会理事長、埼玉県鮨商生活衛生同業組合理事長を務める。2003年大宮中央ライオンズクラブ入会、19-20年度クラブ会長。亡父・利夫さんは1989-90年度330-C地区ガバナー(大宮北ライオンズクラブ)、母・久子さんは大宮グリーン ライオンズクラブ元会員(チャーター・メンバー)で、弟・信明さんは大宮北ライオンズクラブ会員、妹・雅美さんは大宮グリーン ライオンズクラブ会員というライオンズ一家。