歴史東京国際大会
築こう平和の殿堂を

東京国際大会  築こう平和の殿堂を
日本武道館で開かれた第52回東京国際大会閉会式→『ライオン誌』1969年8月号

1969年7月2日~5日、第52回ライオンズクラブ国際大会が東京で開催された。国際大会はライオンズクラブ国際協会の年次総会で、各種会議やセミナー、選挙などが行われ、世界中から会員らが参加し交流する、1年で最も大きな会合である。日本ライオンズは、日本で最初の東京ライオンズクラブ結成から10周年を迎えた62年に東京への大会招致活動を開始。翌63年には会員数でカナダを抜きアメリカに次ぐ世界第2位のライオンズ大国となり、更に右肩上がりの成長を続ける中、7年間の準備期間を経て満を持しての実現だった。

大会標語は「Building A Cathedral」、日本語訳で「築こう平和の殿堂を」。日本及び日本人が平和を愛する国民であることを印象付け、それぞれの国へ持ち帰ってもらいたいという強い思いがあった。日本で初めてというだけでなく、東洋・東南アジア地域でも初となる東京国際大会には、世界各国から約1万5000人、国内参加者を含めると3万1500人ものライオンズ・メンバーが集結した。

青山通りを進むインターナショナル・パレード。行進は5時間にわたり続いた

東京大会はインターナショナル・パレードで幕を開けた。明治神宮表参道から神宮外苑絵画館前までの約2kmをパトカーの先導で、消防庁音楽隊、国際役員車、日米学生バンド、民族衣装に身を包んだ世界100カ国のライオンズ・メンバーら8000人が行進した。アメリカ西部のカウボーイやハワイのフラダンス、情熱的なスペインのフラメンコ、アフリカ各国の色鮮やかな衣装、アジアの爆竹や竜の舞、そして日本の秋田の竿頭、京都時代祭り、博多どんたく等々……。ビルの窓には仕事そっちのけで見物する人々が鈴なりで、沿道は6万人もの観衆で埋まり、近くの小学校からは子どもたちがやってきて、歓声を上げ手を振った。

日本武道館で開かれた開会式には昭和天皇・皇后両陛下をお招きし、次のようなお言葉を頂いた。
「ライオンズの会員が長年にわたり友愛と寛容の精神の下に相互理解と社会奉仕を目標として活動し、各国民間の友好と社会の福祉に寄与してきたことは、深く多とするところであります。この大会がよくその成果を収め、会員相互の友情と親愛がますます深まると共に、世界の平和と人類の幸福に貢献することを希望してやみません」(69年8月号)

第2回総会に招かれた佐藤栄作総理大臣は
「終戦から24年を経て、日本は復興を遂げることが出来た。今度はその創造力を人類の福祉に役立てなければならないと考える。そうした機会に東京でこのような国際大会が開かれたことには大きな意義がある。皆様には地域社会のリーダーとして世界平和と人類の進歩に貢献されるよう心から希望する」
と演説した(69年8月号)

開会式のフラッグ・セレモニーでは、ライオンズ加盟国107カ国(当時)の国旗が並んだ

東京大会で69-70年度ライオンズクラブ国際会長に就任したW・R・ブライアンは、これまでの大会ではなかったこととして、アメリカ人以外の参加者数が過半を占めたこと、全ての行事が時間通りに進行したことなどを挙げ、「最高点の大会だった」と評価した。日本の大会委員会が「日本人会員にとっては国際協会の一員であることを肌で感じられたのが大きな収穫だった」と述べると、ブライアン国際会長は「国際協会にとってもまた、北米、南米、ヨーロッパ、その他各国から集まった会員が、日本が我々の一員であるという認識を深めることが出来てよかった」と答えた。

会長は大会前に広島を訪れ、原爆資料館などを見学し、「広島では非常な印象を受け、資料館を出る時は涙が止まらなかった。国際会長としてこれから1年間各国を回るが、スピーチの中にこの時の印象を入れるつもりだ」と語っていた。それを最初に実行したのが東京国際大会最終日の国際会長就任あいさつだ。

「原爆資料館を歩き、溶けたガラス、ねじ曲げられた鉄材、肉体の苦痛を映した写真──人類が人類に向けた非人間性の産物である原爆を見てほしい。慰霊碑に花を手向け、そこに刻まれた『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』という文字に耳を澄ませてほしい」
会場を埋め尽くすライオンズ・メンバーらにこう呼び掛けた(69年8月号)

ライオンズのベストを着て銀座を闊歩する海外のメンバー

大会期間中は、世界中のライオンズ・メンバーがカタコトの英語や身振り手振りで交流を図る姿が至る所にあふれていた。コミュニケーション・ツールとして大いに役立ったのが交換バッジで、顔を合わせれば自国や自クラブのオリジナルバッジを贈り合った。東京国際大会を取材した週刊文春記者は、『ライオン誌』に寄せた「やぶにらみ 世界大会見聞記」の中で、次のように書いている。
「バッジを胸いっぱいにつけた日本のライオンズが武道館からの帰り道、友人と交わしていたコトバの二つが耳に残っている。一つは『やっぱり英語だけは知っとかにゃいけんのう。世界の動きに乗り遅れるぞ』。今一つは、『あんなエエやつら(外国ライオンズ)と戦争してたんやからなあ、けったいなもんや』と。以上、二つのコトバが実感としてふっと聞かれただけでも、今度の世界大会の意義は十分に達せられたと言うべきだろう」(69年8月号)

2020.02更新(文/柳瀬祐子)

第52回ライオンズクラブ国際大会 1969年 東京