奉仕活動留学生と共に参加
本場鶴崎踊大会

留学生と共に参加本場鶴崎踊大会

大分県大分市鶴崎地区は大野川と乙津川に挟まれ、北に別府湾を臨む。鶴崎では毎年8月、旧盆の次の土日に本場鶴崎踊大会が開催されている。鶴崎踊には軽快な「左衛門」と優雅な「猿丸太夫」という二つの踊りがあり、それぞれ住民に親しまれている。会場となる鶴崎公園グラウンドには多くの人が集まり、横を通る日豊本線は乗客が車窓から見られるように、この日だけ徐行運転をする。

鶴崎地区を含む大分は、鎌倉幕府成立後、大友氏の支配下となり、戦国時代には21代当主、大友宗麟によって南蛮文化が栄えた。しかし、1560年頃、大友宗麟(当時は大友義鎮と呼ばれていた)が遊興にふけり、政治を疎かにしていた時期があった。重臣であった戸次鑑連(べっきあきつら)はそんな宗麟をいさめるために京都から踊り子を招いて見物させ、機嫌の良くなったところで政治の重要性を訴えた。そして宗麟はその忠告を受け入れ、政治が安定したという逸話が残っている。この時の踊りが「左衛門」の始まりだと伝えられており、それから450年も踊られ続けている。

江戸時代に入ると、外様大名の竹中重利が治める府内藩となったが、鶴崎は加藤清正が藩主である肥後熊本藩の飛び地領とされた。別府湾に臨んだ鶴崎は、大坂や江戸に出るのに非常に便利な場所で、京や大坂との交易に加え、参勤交代の発着地として発展した。町民の気質は明るく、1700年代初頭に伊勢参りが流行した際も多くの人が伊勢神宮に馳せ参じたという。こうした人たちが現地で覚えた伊勢踊が地元鶴崎で広まり、「猿丸太夫」として定着していったと言われている。

こうして300年、400年という長い歴史を持つ鶴崎踊。本場鶴崎踊大会には2日間で60チーム、約1200人が踊り手として参加する。これに毎回参加しているのが鶴崎臨海ライオンズクラブ(佐藤祐司会長/25人)だ。日本文理大学の留学生と共に参加している。クラブで浴衣を準備し、着付けや髪結いをして一緒に踊るのだ。

今年、踊りに参加したのは鶴崎臨海ライオンズクラブのメンバー10人と留学生19人。他のメンバーは着付けを手伝ったり、休憩中に水を出したりとサポートに回った。踊りの練習は大学に先生を派遣して実施。クラブ内でも稽古をする。合同練習は2回。当日も会場へ向かう前に合同で練習をする。

大分県は留学生の受け入れに力を入れており、留学生の人口比が京都府に次いで全国2位だ。クラブでは留学生たちにとって本場鶴崎踊大会が日本文化に触れる絶好の機会だと考え、クラブの15周年記念事業として28年前に実施した。するとそれが大好評。継続事業として今日まで続け、参加希望者も増えてきている。

熊本藩の飛び地領であった鶴崎は、周囲を他藩の領地に囲まれていた。当時の人たちは熊本藩に迷惑をかけてはいけないと、いざこざを起こさないように他の土地の人と交流していた。こうした歴史があり、どちらかと言えば閉じたコミュニティーが形成されやすい土地柄となっていた。そのため、留学生の伝統芸能への参加が受け入れてもらえるかは不安だったという。しかし、初めて大会に参加した時、留学生たちの踊りが非常にユニークだと多くの人に楽しんでもらえた。この時、大会本部が特別に留学生へ授与したユニーク賞は今も続いており、踊りに独特のアレンジを加えた人に贈られている。

今年の日程は8月24日と25日。毎年、初日は企業などのチームが踊り、2日目は地元のチームが踊る。鶴崎臨海ライオンズクラブは2日目、25日の参加だ。最初は緊張していた様子の留学生たちも、踊りが始まってからは表情が変わる。この日のために練習してきたのが伝わってくる所作だ。毎年参加している留学生もおり、踊りも立派なものだ。わざわざ海外からその勇姿を見に来てくれる親御さんもいるという。留学生に負けじとメンバーも踊る。

開始から終わりまで2時間。途中、20分ほどの休憩はあるものの、長時間体を動かし続けることになる。体力的にはなかなか大変だ。だが、終わった後はメンバーも留学生も笑顔。達成感に満ちた表情をしていた。

留学生の思い出に残すため、クラブでは写真を撮影し、アルバムにしている。9月の例会では大会に参加してくれた留学生全員を招待し、それをプレゼント。また、日本語で感想を発表してもらっている。クラブにとっては反省の材料になると共に、留学生にとっては人前で日本語で発表する良い機会になっている。

クラブでは今後もこの事業を続け、鶴崎踊の魅力を世界に伝えていくつもりだ。今年は休憩や待機時に座る小さな椅子を準備するなど、毎年、反省を生かして少しずつ事業の改善や工夫を重ねている。

2019.10更新(取材・動画/井原一樹 写真/関根則夫)