歴史チリ地震津波:
海を渡った津波と支援

チリ地震津波: 海を渡った津波と支援

1960年5月24日未明、北海道から沖縄までの太平洋沿岸地域が突然の津波に襲われた。地震の揺れを感じることも無く、ほとんどの人々は深い眠りについている最中の、急襲と言えるような出来事だった。原因となったのは、23日に南米チリの沖合で発生した観測史上最大、マグニチュード9.5の地震だった。地震と津波によりチリ全土が壊滅状態になっただけでなく、地震発生から15時間後には10mを超える津波がハワイを襲い、23時間後に日本に到達した波の高さは2~3m、場所によっては5mを超えた。

日本とチリの距離は約1万7000km、時速700kmを超える速さで伝播した波が、丸い地球の裏側にある日本列島周辺で収れんする形になった。日本全体で142人が犠牲となった。

時を移さず救援の手を差し伸べる仙台ライオンズクラブ→『ライオン誌』60年7・8月号

前年の伊勢湾台風被害からわずかに8か月。日本ライオンズは再び立ち上がり、会員1人当たり200円の拠出を決定。更に各地のクラブやメンバーも支援を開始した。北海道東部・厚岸郡浜中村(現・浜中町)霧多布は、海に突き出た岬の根元に当たる低地に町があり、朝4時頃両側から押し寄せた津波が街をのみ込んだ。犠牲者11人。村長は「3時頃早出の漁民が潮の引き方が異常だと言ってきたので、釧路地方気象台に問い合わせたが返事が無い。やむなく半鐘を連打して避難を促したが間に合わなかった」と声を詰まらせた。当時、北海道に19あったライオンズクラブは、早速救援に乗り出した。前年末から積み立てていた13万円を救済に当てることを即決。釧路ライオンズクラブが700人分の子ども用靴を始め救援物資を積み込んで浜中村霧多布を訪れた時には、電線に海藻が引っ掛かり、海寄りにあった家屋はその痕跡をとどめるばかり。

波を逃れて上った屋根ごと押し流され、海岸から2km沖合にある周囲6kmの小島にたどり着いた家族もあった。この小島のおかげで九死に一生を得た人も少なくないという話に、支援に駆けつけたメンバーたちは相槌の打ちようもなく驚くばかりだったという。絶望にのまれそうな中、高台にある中学校のグラウンドに流れ着いた2、3トンはありそうな2そうの漁船では子どもたちが遊んでいた。その光景を目にしたメンバーたちは子どもたちの生きる力に小さな光を見いだしたに違いない。

津波に襲われた宮城県志津川町

三陸海岸も特に大きな被害を被った場所で、岩手県大船渡市で53人、宮城県志津川町(現・南三陸町)で38人が犠牲となった。志津川町から約30km南に位置する石巻市のライオンズ会員は、その日の様子をこう表現している。
「高さ5mほどの津波が、24日の早朝から40~50分くらいの間隔でほぼ終日押し寄せてきた。引き潮は目にもとまらぬ速さで大小の船舶や岸辺の家屋を運び去り、今度はこれを破壊道具にして陸地目掛けて押し寄せてきた」

仙台のライオンズクラブは見舞金の他、老人のための毛布類や子どもたちのための学用品などを乗用車2台、トラック2台に積み込んで志津川に入った。町長と面会し見舞い品を渡すと、非常に感激して日本中のライオンズの皆様にくれぐれもよろしくと伝言を託された。仙台市医師会の一員として志津川を訪問したライオンズ・メンバーは、その惨状をクラブへ報告。「現在進行中の活動を一時中断しても、チリ地震津波被災者への支援を優先すべき」と訴えると、満場一致で賛成を得た。こうしたライオンズクラブの支援活動は打ちひしがれた人々に安堵を与え、これがきっかけとなって志津川町では61年に志津川(現・南三陸志津川)ライオンズクラブが誕生することとなる。

ハワイから横浜港に到着した衣類等の支援物資→『ライオン誌』60年11月号

海を渡ったのは津波だけではなかった。ライオンズクラブの支援も海を超えてやってきた。日本の8時間前にチリ地震津波の襲来を受けたハワイからだ。ハワイ島ヒロも10.5mの津波に襲われたが、国の海岸線のほぼ半分が被災した日本とは違い、6月には既に余った支援物資が倉庫に入ったままになっている状態だった。そこで、被災地でまだ支援を必要としていた日本へそれを送ってくれることになった。窓口となった東京日本橋ライオンズクラブでは救援品なので無税だと安心していたのだが、総額5000万円以上と見積もられた物品は荷物が届く横浜港の税関だけでなく通産省の許可が必要ということで、手続きに2カ月もかかっているうちに倉庫代が10万円にもなってしまった。倉庫管理者らに陳情して半額に割り引いてもらい、救援物資のうち28トンは岩手県の盛岡市へ、12トンが大船渡市、陸前高田市へ、16トンが大槌町、山田町へ、残りは八戸ライオンズクラブと石巻ライオンズクラブの手を経て青森、宮城両県の被災者へ分配されていった。

日本のライオンズも国内だけでなく、海外のチリ地震津波被災者を支援。全国ライオンズ会員からの拠出金の一部が、チリとハワイ、そして当時はまだ外国だった沖縄へ、見舞金として270ドルずつ送金された。海外送金には大蔵省の認可が必要な時代だ。それぞれの国からは丁寧な礼状が届き、沖縄ライオンズクラブからは「海外の沖縄までも多額の救援金をご恵送頂きまして、沖縄の全住民に代わりまして心から厚くお礼を申し上げます」とあった。ハワイのライオンズクラブからも沖縄ライオンズクラブへ3トンの衣料物資が贈られた。人々の善意も波のように海を越えて行ったり来たりしていたわけである。

2019.09更新(文/柳瀬祐子)