テーマ目の不自由なランナーを
サポートする愛走フレンズ

目の不自由なランナーをサポートする愛走フレンズ

出雲市は島根県中東部、神話の国・出雲の象徴である出雲大社を始め、豊富な歴史・文化遺産に恵まれている。その出雲の地にふさわしい「くにびき」の名を冠したマラソン大会が、毎年2月、出雲市で開催される。「くにびき」とは、八束水臣津野命(やつかみづおみつぬのみこと)が新羅(朝鮮半島)の一部などを出雲に引き寄せ、島根半島を造成したとする『出雲国風土記』の冒頭に記載されている神話のこと。

出雲くにびきマラソンは1981年、翌年に開催される島根国体(くにびき国体)の気運を盛り上げるために始まった。500人強のランナーが参加した第1回大会以降、徐々に参加者が増え、第4回大会では1000人を突破。更に92年の第11回大会では2000人を超え、2353人の参加で開催された。この第11回大会では初めて目の不自由なランナーが10kmコースに参加し、出雲市職員5人がリレー形式で伴走。これを機に目の不自由なランナーをサポートする市民ボランティア組織「愛走フレンズ」が結成され、翌年からは毎年10人前後の視覚障害者ランナーが走る大会となった。

今年も2月24日、島根県立浜山公園で第38回出雲くにびきマラソン大会が開催された。その中には、大会初の視覚障害者ランナーとして第11回大会に参加した半谷展男(はんやのぶお)さんの姿もあった。

名古屋から参加した半谷さんを出雲市駅に出迎える多伎町ライオンズクラブのガイドヘルパー

半谷さんは、二十歳(はたち)過ぎに失明。40代からランニングを始め、走力に自信が付いたところで、各地のマラソン大会に参加を打診するようになった。が、「けがをされては困る」「対応出来ない」などの理由で断られることが多かった。そのため出雲くにびきマラソンにも、ダメモトで参加を打診する電話を入れてみた。その時、対応に困った担当者は市長に判断を委ね、半谷さんの電話は市長室に回された。

半谷「私は名古屋の者ですが、そちらのマラソン大会に参加したいのですが……」
市長「どうぞ、どうぞ。出雲くにびきマラソンには全国から参加されていますよ」
半谷「ただ私、目が全く見えないんです。よろしいですか」
市長は一瞬、言葉に詰まってしまった。が、当時の岩國哲人市長は常日頃「弱い人の立場に立って仕事をするのが行政の役目」と標榜し、出雲市も障害者福祉都市宣言をしていた。そのため次の瞬間には、岩國市長は半谷さんに「分かりました。一緒に走れる人間を探してみましょう」と約束していた。市長は早速、担当課長を呼び、職員の中から伴走者を探してみてほしいと依頼。そして翌日、課長から報告があった。
課長「市長、5人見つかりました」
市長「みんな10km走れるのかね?」
課長「いえ、誰も走れません」
市長「走れない人間が5人いて、どうなるんだ」
課長によると、伴走を申し出た職員たちは「一人2kmずつ走り、5人で力を合わせてサポートするので、ぜひやらせてほしい」と訴えたという。それを聞いて岩國市長は感動し、涙が出そうになった。

ガイドヘルパーは目の不自由なランナーの受付サポートも行う

5人は決意通り、その日から練習を開始。1人が目隠しをし、伴走役がロープの片方を持って「坂ですよ」「右に曲がりますよ」と誘導しながら走る練習を続けた。そして92年の第11回大会には、半谷さんの伴走を交替で務める5人の姿があった。出雲くにびきマラソンに、初の全盲ランナーが誕生した瞬間だった。

半谷さんは出雲市の配慮に感動し、所属する日本ブラインドマラソン協会に報告。すると翌年、目の不自由なランナー8人が大会にエントリーした。更にそれを知った市民が立ち上がり「愛走フレンズ」を組織。「愛走フレンズ」は伴走を務める以外にも、ガイドヘルパーとして自宅や宿泊先、出雲市駅から大会会場への送迎、会場での出迎えや見送り、受付、荷物預かりなどを担当するようになった。

出雲市最西端、日本海の美しい海岸線に面した多伎(たき)町を奉仕地域とする多伎町ライオンズクラブ(山本先人会長/16人)も、94年の第13回大会から「愛走フレンズ」に登録。13回大会には全国から2500人の参加があり、その中には23人もの目の不自由なランナーの姿があった。多伎町ライオンズクラブはこの大会で伴走とガイドヘルパーの両方を務めたが、最近は走力の関係からガイドヘルパー役に徹している。

大会前には出雲大社で完走祈願

今年の第38回大会には、12人の視覚障害者ランナーがエントリー。「愛走フレンズ」からは42人の伴走者と14人のガイドヘルパーがサポートに当たり、多伎町ライオンズクラブも会員7人がガイドヘルパーとして参加した。

当日午前7時20分、前夜に愛知県・名古屋駅を出発した夜行バスが、出雲市駅に到着した。バスに乗っていたのは半谷さんだった。降車場では、半谷さんのガイドヘルパーを務める多伎町ライオンズクラブの竹下佳孝さんと鳥屋尾義明さんが待っていた。出迎えた二人が、受付までだいぶ時間があることを告げると、半谷さんは出雲大社への参詣を希望。3人はまず出雲大社で完走を祈願し、会場となる浜山公園へ向かった。

その1時間後、今度は電車で渡辺極子さん(安来市)と高橋恵理さん(松江市)が出雲市駅へ到着。それぞれ担当のガイドヘルパーが出迎え、初参加の高橋さんは多伎町ライオンズクラブの小川道則さんと一般ボランティアの蒲生礼子さんが担当した。大会当日、浜山公園の駐車場は一般車の乗り入れは禁止だが、視覚障害者ランナーを送迎するガイドヘルパーには許可証が交付され、視覚障害者ランナーと愛走フレンズのための専用控え室に近いスペースまでスムーズに入って行くことが出来る。

出雲くにびきマラソン大会開会式

その後、視覚障害者ランナーはガイドヘルパーに伴われて受付を済ませ、控え室で伴走者と対面。一緒に開会式へ参加したり、設定タイムの打ち合わせをしたりしながら、それぞれのスタート時間を待つ。また控え室では、ランナー同士で交流をしたり、以前に担当してくれた伴走者やガイドヘルパーとの再会を喜び合ったり、マラソンの他にも楽しみが多い。

「ここは3〜4人が伴走を務めてくれたり、送迎や会場での世話など大勢の人が協力してくれたりして、いつも楽しみに参加しています。その上、事前に点字でさまざまな情報を送ってくださるんです。こんな大会は他にないですよ。私はもう十数回参加していますが、同じように毎回参加されている人の中に81歳の原益弘さんがおられます。私は今78歳なので、原さんのように80を過ぎても走れるように健康に留意し、85や90になっても、走れるうちはここに来たいと思っています」
と半谷さんは話す。

また10kmコースに初参加した高橋さんは、設定タイムより大幅に早い時間で完走。
「走る前は緊張と不安でいっぱいでしたが、伴走者の方たちが自分を励ましながら周りを走ってくださり、本当に気持ち良く安心して走ることが出来ました。参加させて頂いて本当に良かったと思っています」
と話していた。

現在、出雲くにびきマラソン大会は「目が不自由な人でも安心して走ることの出来る大会」として、全国各地の市民マラソンの中でも注目される大会となっている。多伎町ライオンズクラブはその大会で「愛走フレンズ」として活動することに誇りを持ち、今後もクラブの主要事業の一つとして取り組んでいくことを誓っている。

2019.04更新(取材/鈴木秀晃 写真・動画/田中勝明)