フォーカス障害の有無にかかわらず
共に生き共に暮らす

障害の有無にかかわらず共に生き共に暮らす

弊社は障害者を積極的に雇用している模範的な事業所として、2014年度に厚生労働大臣表彰を受けましたが、これは今に始まったことではないんです。2代目社長である私の父(大風茂吉会長/山形ライオンズクラブ)は障害者福祉サービス事業所などを運営する社会福祉法人の理事長を務めるなど、障害を持つ方の支援に力を入れており、弊社には私が小さい頃から身体の不自由な方が勤務していました。

会社は祖父が72年前に創業し、父が社長となった頃は社員30人ぐらいの規模だったと思います。その当時、足の不自由な方が2人在籍しており、私は子ども心にそれが普通だと思っていました。そのため、父の跡を継いだ兄が09年に急逝し、私が社長を引き継いでからも、当たり前のように障害のある方を雇用し、それを特別なこととは思っていませんでした。現在、社員総数130人のうち障害のある方が全部で6人働いており、2級の方が1人いらっしゃるので7人の常用雇用障害者数になります。

義務教育の場では特別支援学級、我々の時は特殊学級と呼ばれていましたが、そうしたクラスがあり、障害を持つ仲間が身近にいます。しかし、その後は進学先にしても就職先にしても別々の道を歩むことが多くなり、障害を持つ人との接点はほとんどなくなります。共生社会の実現と言っても、現実問題として障害のある人と関わる機会がなければ、どのように接していいかさえ分かりません。でも障害のある人が身近にいると、手を貸す貸さないの線引きも分かってきます。例えば弊社の場合、上肢障害のある社員がフロアのごみを集めてごみ置き場に持って行く当番をする時など、普通に出来ることが分かっているので、誰も手を貸したりしません。しかし、重い物や大きな物を動かそうとしていると、近くにいる人間がすかさず手を貸します。

私の場合、子どもの頃からそうしたことが日常としてあったので、自然とスペシャルオリンピックス(SO)の活動に取り組めたのかもしれません。

SOはご存じのように、知的障害のある人たちにさまざまなスポーツ・トレーニングとその成果の発表の場である競技会を、年間を通じて提供するスポーツ組織です。私がSOと関わるようになったのは、08年3月に山形で開催されたSO日本(SON)冬季ナショナルゲームがきっかけでした。前年の夏頃、知人からボランティアとして運営面の手伝いをしてもらえないか、と打診を受けました。当時、娘が在学していた山形第一中学校のPTA会長をしていたんですが、PTA関係の仲間が何人か関わっていたこともあり、大会役員の一人としてSONの冬季競技種目の一つであるフロアホッケーを担当することになりました。

フロアホッケーはSOが開発した冬季の公式スポーツ競技です。基本的なルールはアイスホッケーに似ており、フェルト製のドーナツ型のパックの穴にモップの柄のようなスティックを差し込み、これを動かしてドリブルをしたり、スティックにひっかけて投げたりすることでパスやシュートが出来ます。1試合は3ピリオドで、1ピリオドにはラインと呼ばれる3分ずつのゲームが3セットあります。つまり1試合中に9ラインがあり、1ピリオド9分、1試合は27分ということになります。フロアにいるプレーヤーは6人、うち1人がゴールキーパーで、プレーヤーはラインごとに交代します。また、1試合中、プレーヤーは他の選手より2ライン以上多く出場してはならないというルールがあります。

2011年には山形市で第6回全日本フロアホッケー競技大会が開催された

SOが開発したものなので、本来はアスリートと呼ばれる、知的障害のある人たちのためのスポーツですが、日本では05年に長野で開催された冬季世界大会を機にSO以外にも広まり、小中学生や社会人が参加する全国大会も開かれています。この長野冬季世界大会の後、当時の細川佳代子SON理事長を中心に日本フロアホッケー連盟が設立され、障害のある人もない人も一緒に参加するスポーツとしての取り組みが始まりました。

05年冬季世界大会の開会式において、皇太子殿下が「この大会を機に、知的発達障害の人々の社会参加が進んで、誰にも開かれた、温かみのある社会の創造が進むことを希望します」とお言葉を述べられました。SONではこのお言葉を深く受け止め、知的発達障害を持つ人たちのスポーツとして始まった競技を、全ての人が参加出来るスポーツとして昇華させようと、フロアホッケーの普及に努めることになりました。

フロアホッケーの試合で審判を務める大風さん(写真右端)

そんな背景の中、08年に山形で冬季ナショナルゲームが行われることになったわけです。結果的に大会は大成功。また、この機会に山形一中の特別支援学級の生徒さんたちとフロアホッケーを体験するなど、その意味でもいい取り組みが出来ました。更にそうした活動を通して、知的障害のあるお子さんを持つお母さんと知り合うことも出来ました。その方が、成長過程で医師から子どもに知的発達障害があると告げられ、その日を境にとても過保護になってしまった。しかしある日、自分はこの子よりも先に死ぬ。私が死んだら、この子はどうなるのかと考え、子どもを囲っていた手を放すことにした。その決断がとても大変だった、と話してくれました。

ただ、それは障害のあるなしにかかわらず、全ての子どもに言えることではないでしょうか。守るだけが親の役割ではなく、子どもたちが社会の中で自立していけるようにするのが親の役割。そしてそれは、SON名誉会長で日本フロアホッケー連盟の細川理事長が言う、障害の有無にかかわらず共に生き共に暮らす社会を目指す「インクル-ジョン」の考え方にもつながるものなのではと思いました。

そして、この灯りを一過性のものにせず、今後も知的障害のある人たちと一緒に活動をしたいと、その年に山形フロアホッケー連盟を立ち上げました。現在、新潟の1チームを含め8チームが登録し、毎年春と秋に大会を開催。私が所属する山形霞城ライオンズクラブから競技で使うヘルメットを寄贈して頂くなど、外部からのサポートもあります。また私も登録チームの一つ、「山形ど~もっす。」に所属しています。と言っても、今ではもうプレイは無理ですが……。

現在、山形フロアホッケー連盟には一つの目標があります。

山形の中学校では、大会前に部活動の壮行式が行われます。しかし部活は課外活動なので、特別支援学級の子どもたちは部活に参加せず、壮行式などに縁のないお子さんも多いのです。そのため、フロアホッケーの選手として壮行式に出て、部活の生徒と一緒に全校生徒から励ましてもらうようにしたいのです。現在はまだフロアホッケーのチームが少ないため、そこまでいっていませんが、将来的には障害のある子もない子も一緒にフロアホッケーをやり、大会前には壮行式の壇上に立つ日が来ることを願っています。

山形県フロアホッケー連盟:http://www.yamagata-fh.com/

2019.04更新(取材・構成/鈴木秀晃)

おおかぜ・とおる:1964年、山形市生まれ。86年、日本大学卒業後、税理士事務所入所。97年、㈱大風印刷監査役就任、09年、同社代表取締役社長就任。08年、山形霞城ライオンズクラブ入会。17年度クラブ幹事、18年度クラブ第3副会長。