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を支援する白杖歩行講習会

中途視覚障害者の社会参加を支援する白杖歩行講習会
※この記事は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で取材活動が行えないことから、過去の取材記事(ライオン誌2018年3・4月号特集)に最新情報を加え再編集したものです

視覚障害者が歩行の際に使う白杖には、周囲の状況や路面の変化などの情報を入手する、緩衝器や身体の支えとして安全を確保する、視覚障害者であることを周囲に知らせる、という三つの目的がある。安全で自立した生活を送るために欠かせない補助具だが、病気や事故で後天的に目が不自由になった中途視覚障害者の中には、訓練を受けていないため白杖の正しい使い方が分からない人や、周囲の目を気にして使用をためらう人が少なくないという。

秋田山王ライオンズクラブ(加藤重広会長/44人)は日常生活でさまざまな困難に直面する中途視覚障害者を支援しようと、12年前に白杖を使った歩行講習会の開催を始めた。

今では視覚障害者のシンボルとして世界的に定着している白杖だが、その普及にはアメリカのライオンズクラブが大きな役割を果たしている。白い杖は、1921年に事故で失明したイギリスの写真家が自分の杖を白く塗ったのが始まりとされている。それから約10年を経た30年、フランスとアメリカで視覚障害者のために行動を起こした2人の人物の働きで、白杖は世に広まっていく。フランス・パリに住むエルブモント夫人は近所の盲学校に通う生徒のことを心配し、注意喚起に白い杖を利用するよう働き掛けた。アメリカで動いたのは、イリノイ州ピオリア ライオンズクラブのジョージ・A・ボーナム会長だ。繁華街の激しい往来の中、杖を手に途方に暮れる視覚障害者を見掛けたボーナム会長は、白い杖に赤いバンドをあしらう自らのアイデアをクラブに伝え、賛同を得て市の当局者に書簡を送った。この5年前の25年、奇跡の人ヘレン・ケラーがライオンズクラブの国際大会でスピーチを行い、「盲人の騎士となって暗闇と闘ってくださいませんか」と呼び掛けている。ボーナム会長の胸には、その言葉が深く刻まれていたに違いない。

30年12月、ピオリア市議会はアメリカ初の「白い杖安全法」を可決する。翌31年にカナダ・トロントで開催されたライオンズクラブの国際大会ではこのピオリア条例のコピーが配られ、白い杖に関する支援キャンペーンが全米に拡大。56年までには全ての州で白い杖安全法が施行されることになる。日本では60年に制定された道路交通法で、白杖を持った視覚障害者の保護が定められた。

秋田山王ライオンズクラブが主催する白杖歩行・生活サポート講習会の歩行訓練(写真提供/秋田山王ライオンズクラブ)

秋田山王ライオンズクラブが中途視覚障害者を対象とする白杖歩行の講習会を開始したのは、2008年6月のことだ。この年度のクラブ会長を務めた関昌威さんは、就任を前に当時秋田市視覚障害者協会会長だった照井忠さんの元を訪ね、地域の視覚障害者の現状を聞いた。関元会長には、ヘレン・ケラーの呼び掛けでライオンズの主要な奉仕分野となった視力関係の活動に取り組みたいという強い思いがあった。

「視覚障害者に点字ブロックの敷設場所の情報が届いていない、県内には歩行訓練を受けられる場が無い、という話を聞いて驚きました。特に中途視覚障害者の場合は、家に閉じこもりがちになる人が多いということでした。これは何とかしなくてはいけないと、中途視覚障害者の方に白杖を使った歩行法を学んでもらう講習会を企画しました」(関元会長)

その当時、秋田県内には白杖歩行を指導する専門家がいなかった。そのため講習会の講師には、東北で唯一、歩行訓練を行っていた日本盲導犬協会仙台訓練センターから歩行指導員を招いた。講師派遣などに掛かる事業費は、チャリティー・コンサートを開催して集めた。講習会は当初3日間の日程で行い、白杖の持ち方、振り方などの基本から、階段昇降、点字ブロックの利用法、バスの安全な乗降について学習。それまでは自己流で白杖を使っていたという受講者からは、より安全な歩行が出来ると喜ばれた。歩行講習会は3年目から秋田県立視覚支援学校との共同開催となり、「白杖歩行・生活サポート講習会」として、歩行訓練と調理体験を組み合わせた1日講習となっている。

毎年6月に開かれている白杖歩行・生活サポート講習会では、歩行訓練士の資格を持つ県立視覚支援学校の教諭が講師を務める。講習会ではメンバーも共に学んでいる。白杖使用者を補助する時の注意事項として、白杖を急に引っ張ったりつかんだりしない(白杖は目の代わり)、体の後ろから押さない(前に何があるのか確認しにくい)、腕をがっちり抱え込まない(腕は情報のアンテナ)など、視覚障害者の誘導や介助の方法を習得。その上で、白杖歩行の訓練ではメンバーが介助役を担当する。昨年6月8日に開催した講習会は視覚障害者9人が受講し、午前中は白杖訓練、午後は調理体験、便利グッズ紹介、応用歩行の3グループに分かれて指導を受けた。

クラブではこの活動を広く市民に理解してもらおうと、開催の半年ほど前にメンバーの勤務先ホテルや経営する飲食店でチャリティー・ランチを行って講習会開催の資金を調達する。昨年は11月25日から12月4日、クラブの例会場でもあるアキタパークホテルと、市内に2店舗を構えるとんかつ かつ吉の協賛で実施。「目の不自由な方に光と希望を願う」とチャリティーの目的を記した1枚1000円のチケットを販売し、6万7700円の資金を調達した(今年6月開催を予定していた講習会は新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止)。

秋田県立視覚支援学校生活情報科では、日常生活動作や歩行の学習、点字やパソコン操作などの習得に加え、創作活動などを通じて生活の質の向上と自立を目指す

講習会に協力する秋田県立視覚支援学校は、聴覚支援学校、秋田きらり支援学校と合わせて三つの県立特別支援学校と医療療育センターが1カ所に集まった、あきた総合支援エリアかがやきの丘にある。明治45年創立の秋田県立盲学校が2010年にここへ移転したのを機に県立視覚支援学校と校名を変更。新たに1年制の生活情報科を設け、地域の視覚障害者の支援や相談に当たるロービジョン支援センターも開設した。生活情報科は主に中途視覚障害者を対象に、障害に応じた生活の質の向上と積極的な社会参加を目的として設置された、全国の視覚支援学校の中でも唯一の学科だ。

こうした態勢は全国的に見ても充実したもので、同校の元教諭で秋田県視覚障害者福祉協会の会長を務めた煙山貢さんは、県内の視覚障害者の長年の願いがかなったと評価している。
「徐々に見えなくなるにしろ、突然の失明にしろ、中途視覚障害者の方の人生はガラリと大きく変わることになります。私のように子どもの頃から見えにくかった人と違って触覚で物を見るという感覚がありませんし、仕事が続けられなくなる恐れなど、悩みを数え上げればきりがありません。歩行訓練を専門に行える人材がほしい、訓練の場がほしいということは、視覚障害者福祉協会としても切なる願いでした。それに耳を傾けて支援に動いてくださったライオンズクラブの働きや、協会としての要望、学校の先生方の熱意、そうしたことが県に届いて実を結んだのだと思います」

秋田山王ライオンズクラブの活動が一つのきっかけとなって開発されたスマート電子白杖(現在は生産中止)を使った県立視覚支援学校での歩行訓練

2017年には県立視覚支援学校を事務局とする「秋田県版スマートサイト」もスタートした。「スマートサイト(Smart Sight)」はアメリカ眼科学会が05年に始めたシステムだ。何らかの原因で視覚に障害を受け「見えにくい」「まぶしい」「見える範囲が狭い」など日常生活に不自由を抱えるロービジョンの人を主な対象として、支援を受けるために必要な情報を提供する仕組みだ。ロービジョンの人は視覚障害があることが見た目には分かりにくいために周囲の理解を得られず、相談先が分からないまま苦しむ人も多いという。スマートサイトは日本では10年に兵庫県眼科医会が立ち上げたのを先駆けに、現在までに29都道府県に広がった。秋田では、県立視覚支援学校ロービジョン支援センターを中心に、秋田眼科医会が後援、秋田山王ライオンズクラブが協賛して秋田県スマートサイト推進委員会を立ち上げ、関係する支援機関やハローワークとも連携して支援情報を提供している。県内の眼科病院等で配布するリーフレットには、教育、福祉、就労に関する相談先を音声コード用の2次元バーコード付きで掲載。このリーフレットの作成費用は秋田山王ライオンズクラブの協賛金で賄われ、3年目となった今年、新しいリーフレットが作成された。

地域の視覚障害者の声に誠実に耳を傾けたことから始まった秋田山王ライオンズクラブの活動は、当事者団体や視覚支援学校と連携しながら前進を続けている。

2020.05更新(取材/河村智子 写真/宮坂恵津子)
*写真は2018年1月取材時に撮影したものです。